歴史の教訓は生かせるのか?
先日、「南海トラフ巨大地震」を想定したドラマを見ました。
ちょっと尻切れトンボ的な終わり方だったので、「え!これで終わりなん?」となりましたが…
それでも、大阪・梅田駅前が濁流に飲まれるシーンを見て、慄いてしまいました。
大阪湾は太平洋側でもないし、津波の影響はさほどないのではないかと勝手に考えていた私には驚きの光景でした。
たとえ海から遠くても、川の激しい遡流により瞬く間に水に飲みこまれてしまうのだと今更ながら気付いたのです。
確かに近所の一級河川が溢れてしまえば、私の住む界隈も一巻の終わりだと思うと、「津波」も他人事ではありません。
「南海トラフ地震」の歴史
「南海トラフ地震」と見られる巨大地震は過去の記録によると、684~1944年までの間に100~150年間隔で巨大地震が繰り返し9回も発生しています。
そして、最後の1946年に発生した「昭和南海地震」から今年で77年目を迎えます。
現在から30年以内にマグニチュード8クラスの大地震は70~80%の確率で発生すると予想されているのです。
時間差で発生する「半割れ」
上記ドラマ内で「半割れ」というキーワードが頻繁に登場しました。
西日本に起こる南海トラフ地震は東日本にも連動して起こるというのです。
「半割れ」も繰り返し発生しています。
・江戸時代
1854年「安政東海地震」
↓ 【32時間後】
1854年「安政南海地震」
・昭和時代
1944年「昭和東南海地震」
↓ 【2年後】
1946年「昭和南海地震」
32時間後なら、連動している感はありますが、2年後ともなれば連動感はなく、むしろ別に発生した地震だと思えてしまいます。
その時々でこれだけの時間差があると、予想がつきにくいですね。
昭和の半割れ地震においては、ちょうど戦中~戦後にあたる時期で、戦争と地震とのダブルでの破壊を受けたということになります。
それでよく復興できたものだと、改めて先人たちの努力には驚かされます。
「半割れ」が招く弊害
救助活動ができない
巨大地震が起こった場合、被害の大小にかかわらず、さらなる巨大地震が起きるおそれがあり、被災地の救援に行っている間に発生すると被害はさらに増す恐れがあり、救援活動ができないのです。
連動する2回目の「半割れ」を想定して備えることが優先されます。
またいつ巨大地震が起こるかもしれない状態で、救援どころではなく、被災地は道路も鉄道も遮断されて孤立してしまうのです。
ですから、被災した方々は救援をアテにするよりも、何とか自力で生き延びる術を見つけることが先決なのです。
高層ビルがもたない?
超高層ビルは耐震設計され、一回の巨大地震での倒壊の可能性は低いが、それが2度目ともなると現在のビルにはそれに耐えるだけの設計が基準とされていないとのことです。
日本経済への大ダメージ
日本第2の経済都市・大阪が壊滅するとその経済的ダメージは「東日本大震災」の10倍だと想定されています。
「半割れ」による連動で、期間をおいて東日本でも大地震が起こった場合、まだ回復途中だった西日本の経済はさらに落ち込み、供給網が完全に遮断され、元には戻るのは難しいそうです。
自然の猛威には勝てないのか
私が見た震災
私がこの目で見て体験したのは1995年の「阪神淡路大震災」で、当時、兵庫県尼崎市の実家は家屋全体がひび割れし、全壊扱いとなりました。
家の前の道路は中央部分で隆起してひび割れ、高速道路は横倒しになり、まるで映画のワンシーンのような光景に愕然としたものです。
しかし、それで驚いていてはいけなかった!
それから16年後の2011年「東日本大震災」が起こり、テレビで見た津波の恐ろしさも知ることになります。
津波は跡形もなく、人々の暮らしを根こそぎ浚い、跡に残った瓦礫の山を見て愕然としたものです。
判っているのに防げない
日本は過去の記録を見ただけでも過去に9回もの「南海トラフ巨大地震」による「半割れ」を経験しています。
たとえ科学がさらに進歩して、ピンポイントな詳細が事前に判ったとしても、いったいどう防げばいいのでしょう?
人の暮らしなど、情け容赦なく呑み込んでしまう「大自然の猛威」にどう立ち向かうべきなのだろう?
たとえ生き残ったとしても、平和ボケした現代人に生きぬく術はあるのだろうか?
壊滅的な世界に取り残されて、どう進めばいいのだろう?
あらためて先人たちを尊敬する
おそらく、極端な災害時にはお金も名誉も役に立たないでしょうし、一瞬にして全てが破壊されるのであれば、今現在、頑張っていることの意味すらないのではないかと思えてきます。
防ぎようもない絶望的な自然の猛威に対して、私たちにもできる事があります。
~未来に託すこと~
30年以内に大地震が起こるということだけは予想できてもいつ起こるかはわからない。
しかし、先人たちが過去に何度大災害を受けても、その都度立ち上がり、私たちに託してくれた事は忘れていけません。
次回の巨大地震が発生した時には、私はすでにこの世にいないのかもしれない。
しかし、確実に私たちの子や孫は経験することになるのです。
少なくとも私が生きた時代に起こった地震の怖さを、子に伝えるしか術はなく、常に防災に備える意識を持つしかないのです。
そして、子や孫が、次世代へ託す。
そうした一つ一つの経験と教訓の積み重ねで、いつかちゃんと防げる日が来るかもしれません。
過去の大地震を振り返る
昨年の記事になりますが、大地震を経験されたご先祖の生々しい記録記事です。
今も忘れられられない貴重なものですので、ぜひお読みくださいね。
●ぺれぴちさん
●そらさん
※以下は、私の記憶に残る限りの大地震です。
・阪神・淡路大震災ー1995年1月17日
震度7、M7.3鳥取県西部地震
・鳥取県西部地震ー2000年10月6日
震度6強、M7.3
・岩手・宮城内陸地震ー2008年6月14日
震度6強、M7.2
・東日本大震災ー2011年3月11日
震度7、M9.0
・熊本地震ー2016年4月14日
震度7、M6.
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