あなたはミーハーですね〈橋本治読書日記〉
やっぱり橋本治をちゃんと読んでいる人が書いた論文をもっと読みたいな、と千木良悠子さんの「橋本治『草薙の剣』論(後)」を読んで思った(「文學界」2024年2月号掲載)。
今回の地震の被害が明らかになるにつれて胸が押しつぶされそうになる。玄関のお正月飾りをそのままに倒壊している家屋を見ると、一瞬にして崩れてしまったものは家屋だけでなく、生活とその基盤そのものであったことが目に見えるようだ。
『草薙の剣』は日本の100年を描く小説で、人にフォーカスが当たりすぎないからこそ、戦争や災害や時代に容赦なく翻弄される人間のさまが現れている。そこから何を読み取るかは読者次第だが、この『草薙の剣』論が世に問われる時期にまたも大災害が起こるとは、書いた千木良さんも想像していなかったに違いない。それほど、内容や論文内で引用されていた橋本治の文章が皮肉なほど深く響く。
私の一番近い人間には、このnoteに書いていることぐらいは話しておきたいから、例の評伝について思うところを(よりオブラートなく)話したけれど、返ってきた反応は「基本的にミーハーだよね」だった。それはその通りなんだ。まぁ結局のところ「自分がいいと思っているものを他人にも評価してもらいたいってことでしょ」と言われればやっぱりそう。その人が好きな織田信長を例に出されたら何も言えない。そんな歴史上の人物であり伝説になっちゃった人に関してならみんな言いたい放題、虚実織り交ぜたストーリーが溢れてる。でも「それだけじゃないんだ」って反発したい気持ちだってある。私はあの評伝はフェアじゃないと思ったし、橋本治と親しくて、橋本治の本だって読んでるはずなのに書くものがアレだったら橋本治の何を読んでいたというのだろう。都合のいい安いフィクションに仕立て上げないでほしい。語り手だけに都合のいい“物語”に、橋本治の人生と橋本治の友人、その人間関係を利用しないでほしい(あぁ、私はまるで『桃尻娘』でリョーコ姫に「源ちゃんに謝りなさいよ!」と言った玲奈のようだ…。玲奈はそんなの嘘だってちゃんと言ってる)。橋本治と会って話したこともなくて著作の全てを読み切れていない私といい勝負だよ。だから冒頭に戻る、やっぱり橋本治をちゃんと読んでいる人が書いた文章を読みたい。千木良さんの文章はそうだったから。「橋本治」を書いて結局売り出したいのは「書いた本人」だとしたらそれは橋本治を利用しているに過ぎない。橋本治について書かれた文章はその一点できれいに分かれる。どういう形であれ橋本治を利用するだけの文章は好きになれない、だって私はミーハーだもん。それを貫いていきたいよ。
去年は橋本治に関する論文や雑誌の記事などをひたすら国会図書館から取り寄せていたので、千木良さんの『草薙の剣』論・前編で引用されていた出典はほぼ全て手元にある状態で読めてすごく充実していた。郵便料金が値上げする前に複写取寄せ作業が終わってよかった。去年の後半は、論文を書く&大学院に行くことを目標に文学理論や論文の書き方などを勉強したけれど、それらの全てをゼロにするような與那覇潤さんの本に出会って衝撃を受けて、フラットな状態に戻れた気がする。でもやっぱりちゃんと文章(論文)は書きたいから、今年はその勉強も兼ねて、学術書や研究書、論文をたくさん読むことに比重を置きたい。橋本治に関してはパンセを読み進めることを継続。
最近読んで面白かったのは『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』。サリンジャー読んだことないけど…