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ここにあるのは、いつも名付けようのない関係性だけ

秘められた事実が明らかになって関係性が変わっていくのはよくある話。「不倫がバレて離婚する」とか。でも人との関係はそんなに簡単に切れなくて、関係性は変わっても距離は変わらず続いていく..現実はもしかしたらこちらのほうが多いのかもしれない。

フィクションが描くのは破局まで。
ノンフィクションが見せるのは破局の“その先”。

この短編集の四篇の物語は、いずれもフィクションでありながら、変化しながら続いていく人間関係を描いています。

そして変化しながら気づいていくのです─
当たり前のように受け入れていた、“男”や“女”、“夫婦”や“結婚”や親子・友達・兄弟・姉妹、家族..そんなものは全部概念じゃないか、ということに。

破局を迎えて、夫婦というものではなくなった、親子というものではなくなったのかもしれない。でもそれは“他人の考え”であった「名前のついた関係性」ではなくなっただけのことで、目の前にいる人との間の、ここにある個別具体的な「名付けようのない関係性」が新たに始まることを意味する。
大事にすべきなのは、重視すべきなのはどっちなんだって、橋本治はそういう闘いかたをずっとしていたように私には思えるのです。

「人間は、簡単に“他人の思っていること”を取り込んで“自分の思っていること”に変えてしまう性癖というのがあるのだが、しかしまた一方、人間とはそういうことになかなか気がつかないものではある。
自分の中にある“自分の考え”というものこそが“自分の考え”で、しかし“自分の考え”を大切にすればするほど世の中とはうまくいかなくなるのがなぜかといえば、元々“自分の考え”なるものが“他人の考え”で、その結果“自分に忠実である”ということが“不本意な結果に対する無感動”にしか行き着かないのだ」から。

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