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大人になることは、ひろいグラウンドを持っているようなこと〈日めくり橋本治〉

橋本治は人生相談の名手でもありました。

娘の部屋を掃除していたら“下品な性雑誌”を見つけて戸惑っている母親の相談に対する回答からの言葉を紹介します。
娘を持つ母親に対する言葉ではありますが、私は大人全般に対して言えることだと感じています。
大人になることは、ひろいグラウンドを持つようなこと、とは…

あなたのお嬢さんは、世の中という、広いグラウンドの中にいるんです。そして、そこのバッター・ボックスに今立っているんです。バットを持ったお嬢さんに、ボールを投げるピッチャーは、多分、そのお嬢さんのボーイフレンドなのでしょう。ボーイフレンドばかりではなく、学校とか就職とか、色々なピッチャーが、たった一人でバッター・ボックスに立っているお嬢さんに向かって色々なボールを投げるでしょう。それを打つのが、お嬢さんの試合なんですよ。そういうものが、人生なんですよ。
あなたは、“保護”というものをカン違いしてらっしゃいますけども、“保護”というのは、そういう幼い打者をバッター・ボックスに立たせないことではなくて、まだヘタクソなバッターが試合に慣れる為に、「どこにボールが飛んでったって大丈夫、いざとなったら、お母さんはどこにだって飛んでって、そのヘタクソなボールとっつかまえて上げるから」と言って、試合の場に送り出すことなんですよ。母親というのは、そういうグラウンドを持っているようなものじゃありませんか?
あなたが生きてらして、そして、あなたのお嬢さんだって、生きるんですよ。あなたが不安であるのと同時に、あなたのお嬢さんだって、チャンと不安なんです。不安だから、「これから起ころうとすることってどういうことなんだろう?」と思って、それであなたの言う〈下品な性雑誌〉を持ってるんですよ。

私は常々、想像力を一番必要とするのは「そこにないものを想像すること」だと思っているのですが、例えば橋本治は相談に答えるときに、書いてある言葉だけでなく「書かれなかった言葉(や背景)」を(おそらく)的確に指摘します。それは論理を磨くだけではない、人間の生活や人間そのものについての深い考察がなければなしえないことです。

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