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なにを言っても理解されることはない孤独

平安時代の女性がひらがなで物語を書いても、当時の世間でまともに取り上げられることはなかった、と橋本治はいいます。

「平安時代というのは、完全に身分制の社会ですから、どんなに自由な口がきけたとしても、決してはずしてはならない“一線”というものがある。そこを押さえるのが敬語という習慣で、敬語による序列ということは完全に守られなければならないけれど、しかしそれさえ守っていれば、どんなにひどいことを言ったり書いたりしても安全だということはあります。
物語というものは所詮女子供の慰みものだから、そこで何を言っても、まともな男達からは、『はっはっはっ、これはなかなか面白い』で黙殺されてしまうこともある。男達がほしいのは、『すぐれた物語を書くと評判の才気あふれる女房』なのであって、別に現状を根底から揺るがす思想なんかではない。紫式部がどんなに危険なことを書いても平気だというのは、その一方に、『まともには取り上げられない』という現実があるからですね。」

橋本治
『源氏供養』上巻

一方、橋本治は戦時中の小林秀雄について“なにを言っても理解されない不幸な人物”と評し、小林秀雄の孤独がどのようなものであったかを『小林秀雄の恵み』に書いています。

「昭和17年の6月─真珠湾攻撃の成功から半年たって、《精兵主義》の海軍はミッドウェイの海戦で敗れている。新聞はこの事実を伝えず、『聖戦遂行!』と『勝利疑いなし』を叫んでいる。小林秀雄は『これに踊らされるな、疑え』と言っているのである。そういう講演をして『体制派』になれているのである。小林秀雄が軍部から『危険人物』と睨まれなかったのは彼の幸運かもしれないが、しかしその小林秀雄は、遠慮なく本当のことを言って、そこに存在する『危険』を拾い上げられることもなかった。つまり、『なにを言っても理解されない不幸な人物』でもあったのである。」

橋本治
『小林秀雄の恵み』

私は、平安時代に物語を書く紫式部などの女性や、戦時中に危険を侵してまで心に従う発言をする小林秀雄に通底するものを、『桃尻娘』を書く橋本治に感じます。枕草子を桃尻語で訳した橋本治にも。
桃尻娘は、まともな内容は“まともな”文体で書かれているものであるという常識に対して、「めちゃくちゃな文体でまともなことを書いた」挑戦でもありました。枕草子も、格調高い日本語で訳されるべきだという常識に対する「原文に忠実に訳すためには若い女性の話し言葉で訳すしかない」という根拠ある現代語訳です。
それは一部で熱狂的に支持され読まれたものであっても、日本の主流や常識のなかでは、成し遂げた功績を正当に評価されることはありませんでした。

大きな力によって“見えない”存在にされている人の弱く小さな声や、この世のなかで言葉を持てないでいる(いた)立場の人に言葉を与えて、それまで形にならなかった気持ちを丁寧に掬うような仕事をしていたのが橋本治であると私は考えています。
もう遅すぎるほど時間は経ってしまったけれど、そして橋本治も亡くなってしまったけれど、橋本治がした重要な仕事を歴史のなかで正当に位置付けることこそ、橋本治の本を一生を懸けて読んでいくと決めた私の目指すことです。


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