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距離をおいてつきあう〈日めくり橋本治〉

「人間は、みんなあるところで“自分”になろうとする。だから、ある時期になると、今まで一緒だったものとは距離をおいて、“独立”というものを確保しようとする。べつに悪いことじゃない。これこそが、子供から大人になるための“成長”というものだから。

人間は、それまでに所属していた『みんなと一緒』という一体感の世界から抜け出して、“自分”というものを改めて確保しようとする。一体感の世界の中で『自分という異質』を表明してしまったら、その内部に混乱を招くだけなんだから、『“自分”というものを確保したい』と思った人間は、そこからとりあえず出ようとする。“出る”のにもいろいろあって、『一ぺん完全に別れてしまいたい』というのから、『ちょっと距離をおいて、自分というのを考えてみたい』まで、いろいろだ。そして、『完全に別れる』も『ちょっと距離をおいて』も、いずれは同じことなのだ。“自分”というものをつかまえてしまえば、今までの世界とは、同じようにつきあうことは出来ないんだから、結局は、『“今まで”と別れる』にしかならない。そして、『別れた』としても、『ちょっとつきあい方を変えただけで、今まで通りにつきあって行く』にしかならなかったりもする。『自分の独立を確保する』ということは、自分一人が別のルートをとって迂回をしても、結局は元のルートに戻って合流するというようなことにしかならないものでもある。『それが出来れば一番幸福だ』というようなもんだ

それだけのことでしかないんだけど、『距離をおいてつきあう』ということが苦手の人たちにとっては、その『一ぺん別のルートを行く』ということが、なかなか認められない。『あいつが別のルートを行くということは、オレたちがあいつから拒絶されるということではないのか?』なんてことを、“出て行かれる方”はうっかりと考えてしまう。ただ単に『距離をおいてつきあう』ということに慣れていないだけで、こういうことになる。
『別のルート』を行った人間は、そのことによって『今までとは別の人間』になって、そうなるともう、『他人と距離をおいてつきあう』ということが出来ない人たちには、つきあい方が分からなくなってしまう。問題というものは、ここにある。だって、そんなことしてたら、“自分”というものを確立したい人間は、その時点で他人とのつきあいを断念するしかなくなってしまう。『自分を持つと社会から孤立してしまう』という、情けない日本の現状は、全部ここに由来している。『日本人は、他人と距離をおいてつきあうことが出来ない』は、とんでもない大問題なのだ。」
橋本治『貧乏は正しい!ぼくらの東京物語』


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