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二度目の橋本治展、講演、『はじめての橋本治論』

新潮社の編集者だった作家の松家仁之さんと、橋本治の実妹である柴岡美恵子さんの講演と対談を聞きに、神奈川近代文学館に行ってきた。

展示ももう一度見る。初日と違ってお客さんがたくさんいた。
講演もおもしろかった。その場が、橋本治の人柄そのもののような温かい雰囲気だった。笑って泣いて。橋本治が特に好きだった歌詞、鐘の鳴る丘の4番を紹介しようとして泣けてきて読めなくなった松家さんが「助けて美恵子さん」と言ってその流れのまま対談に入ったのには、笑いながらもらい泣きした。お母さんの話、住んでいた家と仕事の話、橋本治と美恵子さんとで一緒になって下の妹さんをからかった話、病気になった後の話。1時間半があっという間だった。前に別のところで聞いた松家さんの話と重複するところもあったが、むしろだからこそ話に置いてきぼりにならずに聞けた。どうして結婚しないのかを橋本治に聞いてくれとお母さんに言われて、聞きに行った妹さんに橋本治は「わかるだろ」と言ったというエピソードを前に聞いていたので、最後の質疑応答で聞こうと思ったがやめた。
橋本治の本を読むとうっかり「自己主張の激しい人なのかな」と思う人もいるかもしれないが、実際の橋本治は我を張らず何でもすぐに「いいですよ」と言う人だったらしい。『ひらがな日本美術史』を書いていたときに、「三島由紀夫の『金閣寺』の出版社だから」という理由で金閣寺の写真の使用許可がおりなかったときにも、何の憤りもなく「じゃ中尊寺の金色堂でいいんじゃないですか」とチャットGPTのように瞬時に答えを出したという(大喜利か?と私は思ったが)。大学の進学先を決めるときもそうだし、マンションの管理組合の理事にもなってしまったし、上顎洞がんの手術で顔が変わってしまっても隠すこともなかったと聞いて、どうしてそんなにも受け入れることができたのだろうと改めて思う。「新潮45」が休刊(廃刊)に追い込まれる原因となった騒動について松家さんは橋本治と話をしていて、橋本治は「よくわからないことには黙っていたほうがいいってことだよね」と言ったこと。幼い橋本治少年が母の日にカーネーションを一輪持って行ったら母親に「なんだこれ」と言われた(これは高橋和巳『消えたい』解説に書いてある)というが、お母さんはお父さんが旅先で買ってきたお土産にも「こんなもの」と吐き捨てるように言っていたこと。そんなお母さんに橋本治はお重に詰めた札束をプレゼントしたこと。橋本治はどこに行くにも妹二人にお土産を欠かさなかったこと。人の良いお父さんが借金の保証人になって家業の業態が何度か変わり、橋本治展の入り口近くにあるアートのようなメニュー表はお母さんの喫茶店のために書いたものであること。「あのファニーなお兄ちゃん」にこんな一面があったのかと思うと悲しくなるから美恵子さんは本は読まないようにしていたこと…。美恵子さんが当日着ていたセーターは橋本治が編んだものだったこと(茶の地にピンクパンサー柄のタートル)。「ようやく日の目を見ました、ちょっと暑いけど」と言って笑いながら、すごく目が詰まっていて裏も糸がちゃんと始末してあって、と言ってらして、とても大切にされていることが伝わってきたこと。ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の4番の歌詞を諳んじるたび涙ぐむほど好きだった橋本治は、「昨日にまさる今日よりも明日はもっと倖せに」の歌詞通り、未来への希望を感じさせる小説を書いたが、現代小説家ではそれが珍しいとも言えること。そして私はこの講演ではじめて、4番のこの部分だけではなく4番全体が素晴らしい歌詞であることを知った。「おやすみなさい空の星 おやすみなさい 仲間たち」…
だいたいのところはメモしなくても聞けたけど、橋本治のお墓があるお寺は一生懸命覚えて後でメモした(世田谷の勝国寺)。
講演の一番初めに、松家仁之さんが「女の子が20歳になる前に知っておかなければならない7つの常識」というコラム(橋本治『女性たちよ!』所収)から抜粋して、「今日の話に触れると思うので」と紹介されていたのは以下の2点。
1、自分のどこかに問題があるなと思ったら、それはすべて自分のお母さんとどこかで関係しているということを知っておかなければならない。2、話の合う男の子は、その話の合う分だけ女の子なのだということを知っておかなければならない。
振り返ってみれば確かに、講演全体を通底するテーマだった。

いただいたビデオテープは開けていない。開けないまま取っておくのもいいかな。

ちょうど同じ日に、20日以上かけてじっくり読んでいた千木良悠子『はじめての橋本治論』を読了した。
橋本治の本は、読みやすさ(語り口の平易さ)のわりに「何が書かれているか」が読み取りにくいという複雑な難解さがあると思う。だから「何が書かれているのか」をスッ飛ばして好き勝手に引用したり明後日の方向から批判されたり誤解されたりするという状況がここ何十年も続いていた(もちろん過去の自分に対する反省もある)。待たれていたのだ、こんなにもフェアで真摯な評論が。橋本治を好きで読んでいた人も、読んでわからなかった人も、まずこの評論を前提に橋本治は読まれるべきなんだ。難しくてみんなウヤムヤにしていた一番大事なこと─橋本治の小説には何が書かれていたのか─を、誠実に、緻密に紐解いたのがこの本だ。
正直言って悔しかった。私が大学院に行ってまでやりたかったことは、この一冊にすべて詰まっている。著者の30年分の「OSAMUデータベース」には到底敵わない。この本を踏まえて、この先私には何ができるのだろう?
わからない。だから私はもっともっと読みたいと思った。今まで読んだことのない橋本治も、すでに読んでいる本も何度でも。『はじめての橋本治論』は、日本(文学)史上初めて刊行された一冊丸ごと橋本治を論じる単著であり、はじめて橋本治を読む人にとってもこれ以上ない導きの書だ。あまり広くは知られていないようだが、『桃尻娘』から一貫して小説家であろうとし、書き続けた作家が橋本治である。さまざまな仕事を残したが、この本がまずは橋本治の小説にフォーカスを当てたことに重要な意味があると思う。橋本治展を見ると、橋本治の仕事は人生と切り離せないものだったことがよくわかるが、この本を読むと、小説以外の仕事(評論とか)も小説抜きには語れないことがよくわかるような気がする。橋本治の本のように情報量は多いが、これまた橋本治の本のように、語り口は平易だ。橋本治の本がもっともっと読まれてほしいのと同じく、この本も息長くずっと、たくさんの人に読んでほしい。橋本治逝去後橋本治について書かれた文章は多いが、橋本治本人にも読んでほしいと思えるものは少ない。この本は、その数少ない──ほとんど唯一と言っていい本だと思う。

今は仲俣暁生『橋本治「再読」ノート』(PDF版)を読み始めている。やっぱりちゃんと読みたい本は電子じゃなく紙で読みたいけれど今は手段がないのでしょうがない。


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