橋本治はかつて、源氏物語を現代語訳したあとに書かれたエッセイで、こんなことを書いていました。
千年前に『源氏物語』を書いた紫式部と、80年前に『戦中派不戦日記』を書いた山田風太郎が生きた時間から、現在はまっすぐに繋がっています。現代に生きる人間は、その延長線上に生きている。そうであるならば、過去の人間の生きた時間やその後に経過した時間の持つ意味は、現代においても重要であるはずです。
一人の人間が生きることのできる時間は、限られています。平均寿命が延びたとしても、やはり限界はあります。そのなかでできること、学べることを最大限に活かすために過去に書かれたものを読む意味があるのです。同じことを繰り返すだけではなく、少しでも前に進むために。
「人生は一度きり」を、ただ自分のやりたいことをやるためだけの言い訳にせず、自分の人生の時間を無駄にしないために使う。一人の人間が一生をかけてできたこと、またはできなかったことを知り、自分の人生に活かすことが人生の時間を無駄にしないことに繋がって、さらには次の誰かの人生の足掛かりになる。そうなったらいいと信じています。
※上に引用した文章は『戦中派不戦日記』の解説部分です。電子書籍版では解説が読めないことがありますのでご注意ください