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「王子様の公式」とは?〈日めくり橋本治〉

今まで誰も解いたことのない未知の公式に「王子様の公式」というものがある。それを少し説明してみよう。
この原型は、「貧しい娘が、王子様と出会って、幸福になる」である。
醒井凉子の場合、この公式は「不幸な娘が、王子様と出会って、王子様になる」である。木川田源一の場合は、「不幸な少年が、王子様と出会って、お姫様になる」である。まァ、これは比喩だから怒らないでほしいのだが、しかしやっぱりここには錯誤がある。「王子様の公式」の原型は、実は「貧しい娘が、王子様と出会って→結ばれて→幸福になる」の二段階変化である。だから、醒井凉子の場合も木川田源一の場合も、正確にはこうなる──。「不幸な娘が、王子様と出会って→王子様になって→自由になる」あるいは、「不幸な少年が、王子様と出会って→結ばれると→ホッとする
「ホッとしてどうなるのか?」「自由になってどうなるのか?」ということの答は、「まだ王子様に会ってないから分からない」とか「王子様が意地悪で結ばしてくんないから分からない」とか色々なのだが、要は、昔だと「王子様と出会う=結ばれる=幸福」で、「自由」とか「ホッとする」とかいうような個人的な裁量部分がなかったということである。昔なら「王子様と結ばれる=メデタシメデタシ」で、今更〝自由〟なんぞというものが登場しなければならない理由はなかったのであるが、しかし、今や「自由になる」ということが物事のスタート段階として設定されてしまった現代は違うのである。かつてゴールを示すものだった「王子様の公式」は、今やスタートラインを示すものとなって、それで混乱は様々に混乱しているのだった。
(中略)
“その先”というのは、『王子様の公式』内で考えるととてもシュールな展開になってしまうのであまり言いたくはないのだが、醒井凉子は、『王子様と出会って私も王子様のように素敵な存在になれたなら、きっと素敵な恋を一杯することが出来るでしょう』にしかならないのだから、踏み台にされる王子様はいい面の皮である。
木川田源一だとて、『もしも先輩が僕のこと好きだって言ってくれたら、先輩のいい奥さんになって、そんでちゃんとした男になっちゃうんだけど』としか思っていないのが、木川田源一の無限に続く不幸の原因だったのだが、しかしどっちにしろ、そんなものと出会わされてしまう現代の王子様というものはいい災難の典型のようなものである。

橋本治『雨の温州蜜柑姫』

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