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人とのつきあい方をちゃんと考えるための、性教育〈日めくり橋本治〉

SEXというのは、それをすれば「AIDS」がうつるかも知れないような、「危険なもの」ではある。でも人間は、刃物を使う、火を使う。それと同じように、SEXをする。「危険なもの」を使いこなすためには、それを「知る」ということが不可欠だ。だから、「それを知りなさい」という意味で、今の時代には、ちゃんとした性教育が必要なんです。
それを恐れてはいけない。それは、ちゃんと必要なことなんだから。
なにを恐れて、なにを恐れなくていいかということは、今までこの本の中でエンエンと書いてきたつもりですから、どうか、そういう意味で、この本をちゃんと読んでください。
そして、「人とのつきあいかた」というものを、ちゃんと考えてほしいんです。

人とのつきあいかたをちゃんと考えてほしい─これは、自分がSEXをする相手とのつきあいかただけではありません。
自分のなかに当たり前にある性に向き合うことで、自分以外の人が持つ性のありかたを受け入れることができるようなる。それが人との付き合いの第一歩だということです。

男も女も、どちらも人間なら、自分の中に性的なものを持っている。「自分というものは、とっても性的なものなんだ」ということを知る─それは、「だから自分が時としてみじめなものであってもしかたがないんだな」ということを知ることでもある。
「快感」というものを手に入れるのだったら、それと引き換えに、それに相当する「みじめさ」という代償をはらわなければいけない。それをしなければ、知らない間に、その「みじめさ」を他人に押し付けていることになる。それは、どうあっても知らなければいけない“事実”なんだ。「自分」というもののなかには「性的な自分」というものもあって、それは自分自身で把握して、自分自身のものとして処理していかなければならない。それが、他人とSEXをする人間の最低のルール。

今はこの本が書かれた当時(93年)とは状況が違います。性教育についての意識が高まってきているし、インターネットや動画サイトで誰でもさまざまな情報に触れることができます。でも、SEXにまつわるネタ的に面白い話とかシチュエーション別の注意点はあっても、人間が性的であるとはどういうことなのか、性的な存在である自分を認めるとはどういうことなのかをまじめに考える機会はあまり増えていないのではないかと思います。やっぱり「恥ずかしい」とか「めんどくさい」からなのでしょうね。それをめんどくさがらずに考えよう、と言っているのがこの本。

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