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橋本治は芥川龍之介をどう見たか

「彼はそういう資質を持った─そういう文章を書いてしまう資質を持った作家なのである。
この文章の中には、美しい夜風が吹いている。それは、俗の極みでしかない一人の人間の日常を遠い夢の世界へ運び去ってしまうような、美しく青い夜風である。芥川龍之介の現実に恐らくそれはなく、しかし芥川龍之介の書く随筆には、至る所にこれが現れる。」

橋本治「殺された作家の肖像」
(『秋夜小論集』)

「芥川龍之介の身辺雑記でもあるような随筆の多くは、最後必ず幻想の世界へと旅立ってしまう─そんな不思議な予感を読者に与える。芥川龍之介という人は、自分の書く文章がそういう文章にならなければ承知出来ない作家なのだろう。自然にそうなってしまうのが芥川龍之介の文章で、芥川龍之介にとって、『文章』というものは、明らかにそういうものなのだ。それがわからない人は、芥川龍之介の読者にはなれない。
だから私は、芥川龍之介という人はとんでもない不遇の内に死んでしまった作家なのだろうと思う。当時の文学的─あるいは文壇的な風潮は、今までに述べたような芥川龍之介の読み方を歓迎などしてはいないからだ。芥川龍之介は、自分の思うような文章を書き、あるいは書こうとして、そしてあっさりそれを拒絶されて、煩悶の内に死んでしまった作家なのである。私としてはそのように断ずるしかない。
晩年になって、彼は『文藝的な、餘りに文藝的な』を書き、その中で、“『話』らしい話のない小説”というものを提唱した。私が今までに述べて来た彼の『随筆=小説』とは、この“『話』らしい話のない小説”のことである筈なのだが、しかし彼の提唱したことは、ほとんど理解されないままに終わってしまった。彼は、耽美主義でもなく主知主義でもなく人道主義でもなく自然主義でもなくプロレタリア文学でもなく、主義という野暮を嫌った『文章の人』であろうと、私は思う。」

橋本治「殺された作家の肖像」
(『秋夜小論集』)


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