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魔法みたい。

ことばというのは鮮度が命。だったりする。けれど有名な文豪たちが多く残した作品は、いわばビンテージものの、飲めないのに価値だけはムッチャ高い、蔵の底から出てきたワインみたいだ。わたしも学生時代は、そんな文豪たちの言葉を教科書にして、日々勉強し、自分でもまた深そうな言葉をアウトプットしてみたりした。

なかなか上手くはいかんかったね。文豪たちがビンテージワインだったら、さしづめ若いわたしの言葉はボジョレーヌーボーってとこなのかな。いやー、あそこまで話題にならんからな。おこがましいわっ。

そういう、小説を書いて暮らしていきたいと思っていた時期だった。

でも結局自分のことばを連ねれば連ねるほど、なんだかね。青臭さが際立つってゆーか、深みがないっていうか、1行読んだだけで、芳醇な香りが醸し出されるような、そんな1行を生み出せなかったんだよね。若かったのかな。

言葉の深みを知って、無力さを知ったため、諦めた。といえば聞こえが良いな。

そもそもなんで小説書いていこうと思ったのかも、なんかようわからなくなってきて、でも「人に感動を与えたい」「人の心を動かしたい」っていう根底は、しっかりと熟成されてきてたみたいで、手っ取り早く実現できそうな広告代理店に入った。企画という名の仕事を手にして、今ではフリーになって、自由気ままに企画書を作ったりしてる。

先日、いつもお世話になっている別の代理店さんから企画書作成の依頼が来た。いつもの案件に加えて、もう1本お願いしたいと。オッケーオッケ。大丈夫ですよ。とお返事。テキストベタ打ちデータが来て、おしゃれにして。って依頼。

付き合いが長くなってくるとね。好みのスライドデザインが見えてくる。ページ割りのタイミングがわかるので、打ち合わせとかも5分とか、修正なしとか。そういう同じ会社に所属していなくても、ツーカーっぽくなれるところがフリーのよきところ。こちらも息を吸うように作業をすんなりとできる。

「知里さんにお願いすると、社内でびっくりされるんですよ。テキスト文字だけの企画案が、戻ってきたときはおしゃれに仕上がってて。みんな言ってます」

「"魔法みたい"って」

これ、1週間くらい前の話。ちょうどそのとき、別の仕事の修正ばっか対応してて、なんとなく先方と倦怠期のカップルみたくすれ違ってて。。

「私たち、少し距離を置いた方がいいと思うの」って言いたくなってた。

疲れて読んだメールに「魔法みたい」って。泣けたよね。ありがとうって思った。作品を喜んでくれる、感謝してくれる。クリエイターにとって、これ以上にない賛辞。しかも魔法ときた。魔法使いじゃないのによ?魔法使ったって思わせてくれた。わたしに魔法を使わせてくれた。

この言葉にすごい深みがあって、芳醇な香りがして、重たいフルボディな味わいを感じたの。わたしが、ずっと模索してた、ビンテージ級の言葉。生み出せなくて挫折してた20代の始まりを思い出した。

あれー。自分で深みがないって知って捨てた言葉の重みが、ここにあるや。

それって要するに、自分の心が熟成されたってことなのね。あれから20年くらい経って、いろんな経験と知恵と挫折と…そういう樽のシミが、言葉を熟成させてくれたんだな。

言葉は自分の捉え方だけだったって話。自分で読んで「ボジョレー…」って嘆いてないで、どんどん誰かに読んでもらえばよかった。誰かには、ビンテージになるかもしれない。それを思い出してnoteを始めたんです。やっぱ文章書くの好きだわ。

わたしをnoteに引っ張ってくれたことば。

「魔法みたい」

ふつーの言葉、ふつーの単語。そこは味わい尽くせない、子供にはわかんねーだろ〜なーwと、あの頃の自分に言いたくなる、今のわたしにしかわからないビンテージの言葉です。


#君のことばに救われた

自分の頭の中を紙に書き出す整理習慣が「自分の幸せ」を引き出す手法の1つとして広めたいです。わたしがそれで幸せになったので、メソッドを作りたいと計画中です。