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わざわざ言葉にしてくれて

どうもありがとう。

なんでもかんでも言葉にすると色気が無くなってしまいますけども、わざわざ言葉にされると嬉しい事というのはとてもたくさんありますね。

アリスナイトで共演中の仲良い子が、帰り道に改まって「この現場が終わっても仲良くしてくれますか」と言ってきてくれて、そんなこともちろんなんだけど、とても改まって言ってきたものですから(現場が終わった後の自分の予定まで添えて)、私は嬉しくなって「当たり前やん〜、ありがとねえ」と言ったのでした。

他の共演者から、恐れ多くも仕事をほめてもらったり。面と向かってそうゆうこと言ってもらうってあまりないので照れてしまいますけどうれしい。「僕は」からはじまる言い方だったのも嬉しかった。僕は、私は、いいと思ってて、好きだ。これ以上の力強さがありましょうか。

言葉にしてくれてありがとう。言葉にしないでもわかることはたくさんあるけど、言葉にすることでまっすぐに届くことってありますね。

平気な時もあるけど、最近SNSがボリューム過多でしんどいので、人のはあんまり見てなくて、どうでもいいことつぶやくか、お知らせ発信装置みたいになっちゃってます。

とはいえ、便利ではある。近くに居られない人達の安否確認、近況報告的な働きはしてくれてる。こんな風に知りたいことだけ知りたいけど、入ってくる情報量をうまくコントロールできないのが難しいところですな。

自分の意見をしっかり持っている人は好きだけど、関係性と状況を踏まえてない場違いな発言は嫌い。ズバっと言ってやったっていうイキりでしかない。いつでも自分の意見を言える自分っていう自己愛が透けてて醜い。それ、ほんとに自分の意見すか?言える自分を演出したくて言ってない?

みんなもっと自分の好きなものの話すればいいのに。誰かの好きなものを踏み台にしなくたってできるよ。

こんな世の中だから、目の前の関係で完結していたいとより思う。話す相手も、話す言葉も。3人目を介さず届けたいし受け取りたい。あなたアンド私。ユーエンアイ。それだけがよい。バカデカ主語も、本人以外から聞く話も、無傷な人からの攻撃も、スシローも、もうお腹いっぱいっす。

学校帰りのガストであった「◯◯ちゃんがこんなことしたらしいよ!」「えー、最低〜。」「見る目変わる〜。」「今度会ったら無視しよ〜。」って会話によく似てる。全然わかんなかったあれ。

◯◯ちゃんがしたとこ見たわけじゃないのに、噂を簡単に信じられるのも簡単に見る目変わるのも全くわからんかった。お前らの方がよっぽど怖いわって思ってた。言質取りました?ソースは?あ、でもこの手の単語やたら使う人もおもろすぎるから苦手だな。

相変わらず全然理解できないのに、ふーんと思いつつちょっと入ってきちゃうのがたぶん嫌。知らない人のことは、知らないままでいたい。まだ出会ってない人のことを、知った気になりたくない。

かと思えばしっかり現実世界でしっかり大変なこともあったりして、理解しあっていきたいけど、自分の余裕具合で平気だったり平気じゃなかったりするから困ったもんだなあって思ってます。ケセラセラ!ハクナマタタ!ピースオブケイク!

なるようにしかならないは、なんとかなるでもある。全部なるようにしかならなくて、全部なんとかなる。意味なんかないねん。

P.S 「#カワイキ」読んでくれてありがとう。

いつも読んでくださりありがとうございます。 サポートしていただけたらとってもとってもうれしいです。 個別でお礼のご連絡をさせていただきます。 このnoteは、覗いて見ていいスカートの中です。