見出し画像

貴方がいなくても、仕事は回る。

わたしが薬学部を卒業して14年、転職はのべ4回。
6年制ではなく、ぎりぎり4年制卒です。

タイトルは、自分にかけてあげたい言葉No. 1。
冷たく聞こえるかもしれませんが、誤解を恐れずにこの言葉を。

わたしの話です。

初めての職場

調剤薬局に就職し、国試になんとか合格し(確か、結果発表が4月3日でした)、新卒で配属された店舗は、超人気耳鼻科の門前の調剤薬局。
朝9時から、花粉症シーズンなどは夜の0時まで診察していました。
(病院が開いている間は薬局も開けておかなくてはいけない)
その忙しさが当たり前だと思っていました。

仕事のできる事務さん達に仕事を教えてもらい、鈍臭い日本代表の私は、叱咤されながらなんとか仕事を覚えていきました。

薬局の調剤室って、なかなかに狭いんです。
4畳半あるのかな、というレベル。
パーソナルスペースが確保できない空間というのは、HSP(少なくとも私)には地獄です。

HSPの概念がなかった頃なので、しんどいなーと思いながら、みんなこんなもんだと思いながら騙し騙し働いていましたが、体は正直。

体の異変

ある時、仕事中にめまいと吐き気が出てきました。
隣の耳鼻科で診察してもらい、聴力検査諸々の結果、『低音障害型感音難聴』と診断されました。
あと、メニエール症候群、と。
あまりにも治らないので、大学病院も受診。1ヶ月休職もしました。

休職中、耳鼻科の待ち人数を見ては

「なんでこんなことで休んじゃうんだろう…ダメ人間や」

と、自分を責めてしまっていました。

これ以外でも、患者さんの前に立つと冷や汗が止まらない。患者さんが来るたびに動悸がする。(この症状とは今もお付き合いしています)
おかしいな、と思い精神科を受診したところ、パニック障害と診断されました。
新卒2年目のことでした。


決断

休職復帰後、異動願いを出しました。
小児科の門前です。
ここなら、耳鼻科で培ってきた粉、水の作業はできる。むしろ、嫌いじゃない。

異動後の店舗は穏やかで、談笑もできる余裕もあり、とてもいいところでした。
(最初の店舗は忙しいだけで、スタッフのみんなとはとても仲がいいです。BBQしたりとか。)

家を購入したタイミングで、そこの会社を辞めてしまいました。
単純に、通うのが遠かっただけです。

初めての転職



転職した先は、都会のど真ん中の薬局。
前の会社と雰囲気が違い、OTCも積極的に扱うので、ほぼドラッグストアのよう。
やることも増えて、マルチタスクです。

透析をメインに受け入れていたので、透析患者さんの定期薬、臨時の薬(1時間以内に持っていく、というルール)、外来の患者さん、と目の回る忙しさ。
めまいが頻発して、早退を繰り返していたので、苦渋の決断でしたがパートとして働くことに。

今以上にメンタル弱め女子だったので、はっきり物事を言う人が得意ではありませんでした。
はっきりものを言う人が同じ店舗にいて、その時は彼女がただひたすら怖く、過緊張状態が続いていました。
当時喫煙していましたが、昼ごはんが食べられず、タバコが食事がわり。
そりゃあ、めまいもひどくなるよ。

結局、半年たたずに退職することにしました。

これでも、2店舗しか書いていないのですが、
次に働いた職場では、出産を機に退職。
家にずっとこもり、話し相手もいない育児が想像以上につらく、専業主婦が向いていないと判断し、娘が生後半年になって仕事を探しました。
働き始めたのは、娘が1歳になってすぐのことでした。


産後初の仕事。


パートとはいえ、家族以外の人と接点を持つことはとてもいい息抜きになりました。
こちらでは3年半お世話になりました。
店長との意見の不一致、パニックの頻発などで辞めることになりましたが、事務さんも他の薬剤師も、飲みにいくほどいい人ばかりでした。

ここまで書いていて、辞めるまでに、体に症状が必ず何か出ていることに気付きました。
やはり体は正直、だと思います。

今現在は…


ちなみに、今の職場では事務さんが4人ほど、入ってすぐに辞めていきました。どんだけブラックなんだよ。
体に出る前に、見切りをつける勇気が欲しい。

何かしたい、と模索しながら、何もできない自分に苛立ちを覚えます。
本当はやめて別の仕事がしたい。
静かな環境で、ゆっくり人の相談に乗る仕事がしたい。
人一倍敏感な、HSPを生かした仕事をしたい。

みんなが「明日も仕事に来たい」と思えるようなところをつくれたらいいな。
そんな妄想をしながら、この記事を書いています。

独り言にお付き合いいただき、ありがとうございます。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?