人の生死
私事だが、今年は一人を産んで、二人の祖母を亡くした。
出産一回と葬式二回を経験した。
人は産まれた瞬間、祝福と感動に包まれ、
最期には「この人はこんな人だったね」と周りに悲しまれながら去っていく。
「人生は一度きりだから楽しもう、充実させよう」と焦りのような感情を抱くことが20代で多いけれど
案外、人は簡単に生まれ、そして簡単に亡くなっていくものなのかもしれない。
少し不謹慎だけどそう思った。
もっと人の人生というものは、特別で価値があるものだと思っていた。
生まれる前は無、死んだ後も無。
この唯一意識がある生きている時間こそが貴重で、他の時間は無の状態、という恐怖もあり、それゆえに生の価値はさらに高く感じられた。
でも結局のところ、人間も他の生物と同じように、精子と卵子が出会い受精し、母が懸命に産み、周りが懸命に育てた結果として今の「生」があるだけ。そして死ぬときは、本人の意思に関係なく訪れる。
もちろん自ら命を絶つことは可能だが、大多数の人はそうする必要もなく、またその勇気もなく、ただ生き続けることを選ぶのだろう。
結局のところ、生も死も自分でコントロールすることは難しい。
これは他の生物も同じで、多くの生き物は子孫を残すことだけを目的に生きている。子孫を残せたら、それで使命は果たされたことになる。
だから、人間の人生だけが特別に尊いわけではないはずだ。ただ生まれたから生きて、死ぬ理由がないから力尽きるまで動き続ける。それだけのこと。
諸行無常、すべては常に変わり続けている。その流れの中で、私たちもまた存在しているだけ。始まりも終わりも自分でコントロールしているように感じるけれど、実際は大半が「生かされている」だけであり、地球のエネルギーを借りて、それを返している。
私たちはただ、その循環の一部に過ぎないのかもしれない。
そう考えると、自分の人生って案外大したことがないのだな、と。そして肩の荷がふっと軽くなったような気がした。
気楽に生きていこう、そんな風に思う。