この人と絶対仲良くなりたい! と思った人とは仲良くなれない。 きっと繕ってしまうから。 どうしても嫌われたくない、 関係を途切れさせたくないあまり、 素の私を見せないようにしてしまう。 素の私を見せないのに仲良くなれるわけない。 でも怖いんだ~、 私はどうしてもポジティブな方ではないから。 自分に自信がない。 素の私を好いてくれる人なんていないのだと ずっと思っている。 私だって私のことは好きじゃないし、 きっと結婚もできない。 それでも仲良くなりたいから、 頑張って素
最近少し涼しくなってきて、 夏の終わりを感じる。 今年も秋は短くてすぐに冬になるのだろう、 そんな話ばかり聞こえる。 冬の冷たい風を浴びると とても切なく、気持ちは沈んでいく。 それは冬の風が思い出を運んでくるから。 経験は私の中に蓄積し、私を構成する。 経験の一つ一つが私を強くする。 でも思い出は私を弱くする。 思い出は過去への執着である。 思い返してはあの時に戻りたいと思う。 残酷にも時間は不可逆で戻れやしない。 思い出が私を弱くするというよりは、 執着が私を弱く
とんでもないネガティブなので見たくない人は見ないでください、気分が悪くなっても腹が立っても私にはそれを治すことはできません。 大事なものは実はそこまで大事ではない。 これでは誤解されてしまう、 きっと今はそれがとても大事なんだろう。 でもその大事なものは時間という風に曝されて または時間という水の流れに曝されて、 小さく、丸く、脆くなっていく。 そしてたいして大事ではなくなっていく。 そんなものは当然のことで、 生まれた時唯一私たちが手に持てた母の愛。 私たちは十数年の時
人は忘れる。 私は特にその傾向が強いようで 記憶がそう長くはもたないし、 二つのことは同時に保っていられない。 私をまさしく変えてしまったあの恋の長さ、 あの恋の内容、あの恋の苦しさ、 今では全てを忘れてしまっている。 残っているのはその相手を見る度に 衝撃で噛んでしまう口の中の苦虫だけだ。 ちなみにこの前偶然にも出くわしたが しっかり苦虫を噛んだので、 もう二度と会いたくはない。 住野よるの『この気持ちもいつか忘れる』 という小説をようやく読み終えた。 昨年の11月末に
去年の夏、 私と友達一人だけが行っていた花火大会に 今年は私とその友達以外がみんな行っていた。 電車の終点の僻地で行われる花火大会。 海辺の町。 水面に映る花火はとても綺麗だったことを よく覚えている。 二人で見に行ったのに、 一人で見たイメージの方が強い。 友達が飲み物を買ってきてくれる間、 離島の真っ暗な岩場で一人で花火を眺めていた。 花火の音は思ったより大きくて、 花開く度にびっくりして不安定な岩場から 海へ落ちてしまうのではないかと思った。 インスタのストーリ
何も願わない七夕はきっと 物心がついてからは初めてだと思う。 私はずっと満たされなかった。 どこか劣等感を抱え、 現状に不満を持ち、 現実よりも夢を見ることが好きだった。 もっとも、 見る夢も毎晩赤く燃え盛る街だった訳だが。 昼前には起き、 友達を車に乗せて寮に戻り、 別の友達と映画を見に行き、 別の友達と話をして寝る。 何気ない一日だった。 気付けば私の何気ない一日に 友達がいるようになってた。 いつも休日は一人だった。 家から出ることもなく、 ベッドとリビングの往
趣味の作曲をする度に壁にぶち当たる。 作詞ができない。 私の作曲の原動力は恋愛であることが多い。 それゆえ書く曲は恋の歌ばかりだ。 ただ、言葉を紡ぐ作業がどうにも苦手。 春泥棒/ヨルシカの『愛を歌えば言葉足らず』 という歌詞はあまりにも分かりすぎて愛らしい。 抱きしめてやりたい。 まだ私は言葉を知らない。 まだ私は愛を知らない。 私の恋はいつだって赤く燃えている。 恋をしている時はいつも息苦しさを感じる。 世の中の恋愛だって 別に苦しくない訳ではないだろうが 私から見
19歳の誕生日。 ありがたいことにいつものように いろんなところからおめでとうと メッセージが送られてくる。 その手段の中にLINEのバースデーカードがある。 朝起きてバースデーカードを見ると、 好きだったが振られてしまった人から 送られてきていた。 とても驚いた。 振られてからあまりにも音沙汰なかったので もうてっきり話すことはないと思っていた。 別れの前にあの人が言った 絶対会おうね、という言葉も 叶うことはないと思っていたし 弱い私は叶える気もなかった。 それだけな
毎日泣いていた寮生活にも慣れ、 私が家を出た後、母が鍵を閉める音に 涙を流すこともなくなった。 6月。 私は今月で19歳になる。 来年には20歳になってしまうことには 未だに実感が湧かない。 自炊は全く経験がなかったり、 洗濯もままならず、 寮の部屋くらいしか掃除ができていない。 実際私はまだできないことばかりだ。 専門学校での生活を終えた後、 私がどうなるのかなんてのはまだ 誰にも分からない。 今なりたいと思っている職につけているのか、 どこで働いていくのか、 一人暮
本当は軽音をやるつもりだったのに 軽音がなく、仕方なく入った部活だった。 それでも吹奏楽よりはジャズの方が 自分には相性がいいらしく、 曲自体は好きなものが多かった。 人見知りな上、人付き合いが下手な私は 部活に入った後もしばらくは馴染めずにいた。 変なとこで笑っちゃって ちょっと反感を買っていたり、 女子ばかりで話せなかったり、 それでも 私は部活をやりに来てるんだ と、 最初はあまり楽しくもなかった。 ただ辞める理由も見つからなかった。 リズム隊が準備室でバンド編成の
一緒 は心地いい。 失恋ソングばかり聴いてしまうのが一緒。 嫌いな食べ物が一緒。 白黒の服しか着ないところが一緒。 笑いのツボが一緒。 会話のテンションが一緒。 一緒 があるだけでどことなく親近感が湧くし、 お互いの話に共感できる。 もっと喋りたくなる。 一緒に居たくなる。 一緒 は苦しい。 大きな失恋をしたことが一緒。 それをきっと未だに引きずっているのも一緒。 人との関係にどこか諦めを抱えているのも一緒。 失うことが怖いのが一緒。 強そうなふりをしているのも一緒。
3月1日、高校を卒業した。 今でも入学式の時の高身長に囲まれた恐怖は 鮮明に覚えているというのに、 時の流れはあまりにも早い。 新型コロナが猛威を振るい始めてから、 私の日常はより早く、儚くなっていった。 歳のせいもあるとは思うけど。 卒業が近付くにつれて、 「ああほんとに卒業したくないなあ」 と思うようになった。 今まで漠然と憧れていた卒業後の生活。 飽き飽きしていた高校生活。 今は高校生活が愛おしくて仕方ない。 昼休憩に松ぼっくり投げて キャッチボールしたり、 放
高校生が終わろうとしている。 3月1日の卒業式まではもう20日を切っている。 私は学校を友達に会いに行く口実にしていた。 好きな人と会う口実にしていた。 ずっと続くと思っていたからそれでもよかった。 でも実際にはもう残り少なくて、 いずれ私たちは自ら声をかけないと 会えなくなってしまう。 少しどころかかなり寂しく思うような人が できてしまったのも事実。 自ら声をかけることに躊躇や怠惰の感情を 抱いてしまう自分がいるのも事実。 当たり前は遅かれ早かれいずれ消えていく。 大人
卒業が近付いてきて、 お友達とご飯を食べに行く機会が増えました。 お別れが近付いていることを少し実感します。 元々、人とご飯を食べることが苦手でした。 今も別に得意ではないけど。 喋れないし食べてるの見られるの嫌だな~~と かなり思ってました。 喋るよりご飯食べたいといった感じ。 最近は仲良い人とならご飯食べてる時も 食べるの一旦ストップして 喋るようにもなりました。 中学3年生頃からコロナの影響を受けて 黙食を強いられました。 誰とも喋らずにご飯を食べることが普通になり
気付いたら大晦日でした。 今年は今までで一番早い一年だった! と毎年言っている気もしますが、 事実なのでしょうがない。 例年に比べて、 沈むことの少なかった一年だった。 と感じています。 ちょくちょく沈んではいるんですけど、 間違っても天井見ながら急に涙するとか そういうのは無かったです。 ライブにあんまり行けなかった! そんな気がしてる。 でもさくやさんからセトリ貰えたのは 素晴らしかったほんとに。 ラーメンはめっちゃ行きました。 大好きな横浜家系ラーメンのお店、 あの
体感温度が実際の温度を 下回る季節になりました。 とはいえまだ自転車を全力で漕いでも 汗ひとつかけない季節ではないようで、 登校時のマフラーはいつも途中で外します。 4連休をゲットしたので テンションが上がっていたのか、 友達を誘って公園でバレーボールをしました。 暑かった、びっくりした。 あと、歳だなあ と思いました。 初日はその調子で 夜まで友達と遊んだわけですが、 そこから2日間はずっとごろごろ。 動画配信サイトでアニメを一気見するのも 飽きてきちゃって、 久し