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守れなかったもの

とんでもないネガティブなので見たくない人は見ないでください、気分が悪くなっても腹が立っても私にはそれを治すことはできません。


大事なものは実はそこまで大事ではない。
これでは誤解されてしまう、
きっと今はそれがとても大事なんだろう。
でもその大事なものは時間という風に曝されて
または時間という水の流れに曝されて、
小さく、丸く、脆くなっていく。
そしてたいして大事ではなくなっていく。

そんなものは当然のことで、
生まれた時唯一私たちが手に持てた母の愛。
私たちは十数年の時を経て自分の中で
母の愛が占める面積が小さくなり、
反抗期へと突入する。
無償の愛を捧ぎ続けてくれた存在にだ。

許せないよなー、なんて愚かなんだろうな。

でもそれが普通だ。
それを許す許さないとか
そういう問題ではない、きっと。


それでも私は許せない。
昔大事だったものを今も大事だと思えなかった
自分が許せなくて憎い。
大事だったものの価値はきっと変わらない。
輝きだってあの時のあの輝きのまま。
勝手に私が濁してしまったのだ。


初めての彼女ができた時はとても嬉しかった。
恋愛が成就する喜び、
好きと伝えていいんだという嬉しさ、
日々は色付いていた。
その後自然消滅することになるのだが、
結局その後も私は相手を嫌いになれなかった。
素敵な人だったとずっと愛していた。
そう思っていたのに、
今はもう話したくないし会いたくもない。
私は憎んでいた、
愛していたと思っていた相手を
ずっと憎んでいたのだ!!!

笑い話にできるほど振り切れたのではない、
憎しみを忘れないように語り継いでいたのだ!!

私はどうしようもなく苦しくなった。
自分はまだ良い人間でいられると思っていた、
でもずっと私の知り得る誰よりも
最低で汚い心を持った人間だった。
こんなのが生きてる必要なんてないんだよなー!
そう思ってから私の口は下を向くようになった。
何を話してもネガティブ、
バレーをして無駄にアドレナリンが出ている時
だけはポジティブに振る舞えた。



私は怖い、
もう誰も愛せないのではないか、
もう誰も愛してはいけないのではないか。
昨日愛を囁いた相手に、
明日憎しみをぶつけてしまうのではないか。

私はもうネガティブなことなんて言いたくない、
そんなことは何回も頭を駆け巡っている。
私自身が叫んでいる、
今誰が私の身体の操縦桿を握っているかも
私には分からない。
止まれと叫んでいる私が本当の私ではないのかもしれない。
憎しみのまま揺らめきながら歩き続ける私こそが本当の私なのかもしれない。

泣きたい夜は何度もあった、
夜でなくても泣きたかった、
でも涙は出なかった。
本当は泣きたいだなんて思ってないんじゃないか
とか
被害者ぶりたいんじゃないかとか
ずっとそんなことばかり考えている
私は私をずっと疑い続けている。


私が吐いた死ねという言葉とお前が吐いた他人のコンプレックスを弄り倒すその言葉に何の違いがあるのか、
そんなことばかり考えていた日があった。
直接的な言葉を吐いた方が悪いのか?
じゃあ本人に聞こえないところで悪口を言う私より直接でしか悪口を言わないお前の方が数段悪いんじゃないのか?
そんなことばかり考えた。
ゴミだと思った。
こんな思考回路のどこを愛せというのか、
こんなことを考えてしまう自分が嫌だ、
他人を悪いと思う私が嫌だ


自分を愛せない人には誰かを愛すことはできないし誰にも愛されない、
本当の意味で私は一生誰かを愛せないし誰からも愛されることはないのだと思った、

私は独りだと最近はずっと思っている。
誰にも愛されていなかったのだと思った。
誰もが自分に都合のいい人間を愛してるだなんて陳腐でいくらでも替えのきく言葉で縛り付けているのだと思ってしまった。
母の無償の愛しか信じられなくなってしまった。
私は愛を語りたくないよ、

これは私にできると思っていたことが私にはできなかったと知る度、私の中の何かが音を立てて崩れていく。
何かが何かは分からない、自己愛?
それとも理想像だろうか
自分だと思っていたもの?
大事なもののはずなのに私には分からない
守れなかったのは私だ
約束は守るって決めてたのに私はずっと何一つ守れていなかったのだと知る、
守った気になっていた。
虚しいな、
ずっと馬鹿みたいな夢を見ていたのだ、
笑って誰かと生きる夢を見ていた。
きっとそれが私が守りたかった世界。


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