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山の記憶


大学一回生の一年間だけ、ワンダーフォーゲル部で山登りをしていました。

はるか昔の記憶で、ところどころ忘れちゃったりしているけれど、当時のことを覚えている限り書き残しておきたいなと記事にしてみます。


新歓クラブ紹介でのテントとの出会い

入学式を終えたばかりの頃、クラブの新入生勧誘のイベント?みたいなものが大学の中庭であり、いろんなクラブのブースが出ていました。

背が低いこともあって、大学でバレーボールを続ける気持ちは薄くて、何か別の新しいことをやりたいなぁと思っていました。(結局は2回生の半ばからバレー部に入ることになるのですが・・・)


さほど広くもない芝生の中庭をキョロキョロしながら歩いていた私の目を惹きつけたのは・・・

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こんな感じの、5人用のこじんまりした赤いテントでした。

「わー、こんなとこにテントがある!なんだろう??」

なんだかワクワクしてしまい、そぉーっと中を覗いてみたら

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ちょっと薄暗いテントの中で、ランタンの光がゆらゆら〜、その周りで数人の先輩方がニコニコしてこちらを向いていらっしゃいます。

「どうぞー(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ 気軽に入ってみてね」

言われるままに・・・テントの中だけでなく、気がついたら入部しておりました😆


気軽に入ってね〜と言われたものの、トレーニングはなかなかに厳しくて結構辛かったです。中学高校と運動していたので、結構体力には自信があったけど、全く違いました。

自分と荷物の重量に耐えて、酸素の薄い山に登って帰ってくる体力を養うのだから、当たり前だのことだけれど・・・特に苦手だったのは坂道ランニング。もともと走るのはあまり得意じゃなかったけれど、特にのぼり坂が苦手で、スピードが極端に落ちてすぐにバテてしまうので、よく自主練をしていました。


山では基本テント泊。食事も自炊。なので、寝袋から飲料水、食材、炊飯道具に燃料まで、全て持参。そして出たゴミは持って帰るのが登山の鉄則。

荷物を入れるリュックは、横長の分厚い帆布生地の黄色〜黄土色っぽい色のキスリングと呼ばれるザックで、そこに自分の着替えを含め様々な荷物を人数で分配して、大体一人15〜20キロぐらいの重さを背負います。

本格登山を前に、地元の小さな山に練習登山に行きました。二泊三日程度の行程でしたが、重いザックに泣きそうになった記憶しかありません💦



初めての夏山は北アルプス

夏休みになり、いよいよ北アルプスへ。夜行の急行列車に乗ったのも初めての経験。最寄りの駅から登山口へ移動している時に、だんだんと近づいてくる山の壁がとても壮大で「えぇ・・・あの上まで登れるんかな?」とちょっと怖気づいた記憶も。

登山ルートは「北アルプス・表銀座コース」だったかと。覚えているのは「燕岳・大天井岳・槍ヶ岳・笠ヶ岳」細かいルートは忘れました(^◇^;)

行程途中、悪天候で移動できず一日テントの中で足止めになったこと(山の用語で「沈殿」と言います)、雨に濡れて熱を出して、山小屋に一泊させてもらったこと(私ともう一人)、山の湧き水で作った「わらび餅」がこの上なく美味しかったこと・・・今でもその3つだけは記憶に鮮明です。

それ以外は、もうほんとに苦行のようで😭 歩いている最中は「この山行きから帰ったら、絶対辞める!」とずっと脳内で呟きながら一歩一歩進んでいました。


ところが・・・。ほとんどの行程を終えて、あとちょっとで下山完了という頃、先輩が「みんな、後ろ見て」と仰って、振り返った時に目に入った山並みに

あ・・・あそこ。ずーっと歩いてきたんだ。。。あの上に昨日まで居たんだ・・・!すごい・・・すごいな、自分たち。。。

そう思った時に、じわっと涙が溢れて、それまでの苦痛の数々、辞めてやる!の決心がどこかへ吹き飛んでしまった感じでした。

もしかしたら、これが山登りの魅力は登らないとわからない、と言われる所以なのかもしれないなぁ。なんて、今は全然登って居ない私がいうのは変ですね(笑)

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※当時のお写真 7月終わり頃の槍ヶ岳



秋の八ヶ岳へ

私の通っていた大学には「秋休み」というのがありました。その間を利用して秋山にも登りました。場所は南八ヶ岳。「硫黄岳・横岳・赤岳・阿弥陀岳」だったか?記憶が割と薄いのは、夏山の経験の方が印象的だったからだろうと思います。

秋山の紅葉はとても綺麗だったのですが・・・先輩がフィルムを間違えて購入されていて、出来上がった写真は白黒でした🤣 残念!

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※セピア色でなく、白黒の紅葉の山並み(笑)


役割担当など

テントごとの「パーティ」と呼ばれる数人のグループには、それぞれにリーダー、サブリーダー、起床係、気象係など役割がありました。

リーダーとサブリーダーは先頭と最後尾を歩くため、体力も地図を読む力も必要で、どちらも4回生の先輩が担当されました。

気象係はラジオの気象情報を聞いて、天気図を作るという大事なお役目。朝晩2回、ラジオから流れる気象の情報(場所、風向、風力、天気、気圧、温度)を記録して、それを元に等圧線を書き込んで天気図を作成する。慣れないと聞き漏らしてしまうので、何度か家で録音して練習をしました。慣れるまではなかなか大変でしたが、実は私はコレが大好きでした〜(*´艸`)

起床係は、文字通り、毎朝パーティのみんなを起こす係。朝の5時にテントの中で「起床〜〜〜〜!」と叫ぶのです(笑)冗談のような本当の話。

起床の時の話を少し。掛け声と同時に寝袋から飛び出して、寝具を片付けます。一人用の寝袋とエアーマットを使って寝ていて、これらを一瞬でくるくると堅く巻き、袋に入れるまでほんの2〜3分で行うのです。寝ぼけ眼でちんたらやっていると先輩から厳しい言葉が飛んできます!この時ばかりはとっても体育会系なのでした(笑)

炊事に関しては、気象係以外の人が順番に担当し、天気図が完成したら全員で食事をするという感じでした。


その他、印象に残っていること

春先にはクロスカントリー合宿にも行きました。

普通のゲレンデスキーはそこそこ滑れたのですが、クロカン用の道具は普通のスキー板より細く、踵の不安定な靴になかなか苦戦しました。

クロカンの道具類は歩くために作られているので、坂を滑り降りるのは苦手でちょっとコツが必要なのです。

事前に行ったスキー場で斜面を滑り降りる練習をしていた時、下向きに転んでしまい、踵が上がるので前のめりになって、ストックを握りしめたままの手が体の前でクロスして雪に突っ込み、そのストックの上をスキー板が踏んでしまって、斜面に貼り付けになった状態に・・・どう動いても脱出できなくなり、大笑いしたことも・・・(想像して笑ってみてください🤣)結局みんなに助け出してもらいました💦


それ以外にも、他の大学のワンゲル部との合同合宿や、1回生だけで一泊二日の小さな山行きなど、かなり山に没頭した一年を過ごしました。


2回生になった春、始めるときの「1年間だけ」という親との約束と、中高で痛めた腰の状態が思わしくなくなったことで、ワンゲルから離れることになったのは、今でもちょっと残念な思い出です。


と、思い返して文字にして、忘れちゃってることの多さに愕然としながら、懐かしいアルバムを見返す時間が作れたことに大いに感謝して、この記事をおしまいにしようと思います。

読んでいただき、ありがとうございました(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ



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