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オーバードーズ

なんでも摂り過ぎはよくない。ぼくは極度の偏食のせいもあってかサプリをガブ飲みしている。その数およそ40粒ほどを毎日飲んでいる。いわゆるオーバードーズ(過剰摂取)である。最近は量を減らして20粒程に留めているが、半分になったとはいえやはり摂り過ぎである。

勉強にオーバードーズという言葉は当てはまらないが、それが少し当てはまるようになってきてるのではないかと近年思う。
それは師匠や先生、メンターといわれる方々の理論や技術等、様々な師事を一挙に仰げることになってしまったことに他ならないのではないだろうか。教える幅や深さ、言葉や理論の解釈は人によって様々だ。
沢山の先生方から師事を仰いでおられる方は例えば「タイポグラフィ」という言葉をどのような意味で捉えられているかを先生方に聞いてみると十人十色、様々な答えが返ってくるかと思う。人には人の考え・やり方がある。自分の性格に合ったデザイン法も少なからずあるだろう。ただ、自分自身の答えはそれが合っている間違っているは別としてキッチリと持っていたほうが良い。それは自身の個を個として自責するためと、クライアントさまに対しての誠意だと思うからだ。

もしかしたらクライアントさまはあなたしかクリエイターを知らないかもしれない。少し大袈裟に言うと、そのクライアントさまにとっては、あなたが創造神である、ということだ。その事実を受け止める勇気と覚悟はあるか。
ぼくたちがさせていただいているお仕事というのは、クライアントさまにとっては人生の転機であることが多いのではないだろうか。そのことを強く自覚してほしいと思う。ただ家でダラダラと好きな時間にリモートワークがしたいからと、フリーランスに憧れているような輩がいるのなら考え直してほしい。 それだけぼくたちのしている仕事は怖くて大切な仕事だから。

随分と説教臭くなってしまったが、ここは年功など関係なく言わせていただきたいところなので申し訳ございません。反省はしておりません。

オーバードーズというタイトルに戻る。

ぼくたちの身体には器が存在する。器があるということは相対的に言うと溢れうる、ということだ。沢山の有意義な教えも、一度に沢山は飲み込めない、絶対に溢れ返ってしまう。モノによるとそれは有害なモノとなってしまうケースだってある。ここで一旦弁明させていただくと、なにも1人の先生に教わることを勧めているわけではない。本当に愛のある有能な先生であれば、いま必要なモノをいま必要な分だけ教えてくれるだろう。そしてその先生だけではその専門知識を提供することが難しいと英断してくれた場合、その分野に長けている方を紹介だってしてくれることだろう。

いま自分に足りていないモノは何なのか。
それを見抜いてくれる尊敬できる先生をまずは一人、見つけ出してほしい。
綺麗事をただ並べていて自身の実績は守秘義務が〜、、と言って一切公開していないような方や、一見有益なことを発信しているように見える“だけ”の方に注意しつつ。
何事も要領用法は正しく。


あと、
熱い気持ちはオーバードーズにはならないよ。伝染してビッグバンが起きるだけ。
ただただ革命が起きるだけ。
クリエイティブってそんなもんだろ?
ワクワクして明日が輝いてくる。
過去をなぞるんじゃなくて
未来を提示する。

そんな熱いモノ作っていこうな。

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