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いつしか趣味が”本命”じゃなくなっていた話

今回の記事は、あくまでも個人の価値観であり、
他の価値観を否定するものではないことをご了承頂きたい。
そして、今回も記事がかなり長くなること、
内容がとっ散らかっていて要点がまとまっておらず、読みづらい箇所が出ていることを初めに謝らせていただきたい。

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趣味に対して情熱を燃やすようになってからそろそろ15年ほど経つだろうか。
私は、趣味の時間が好きだ。
趣味の中でしか得られない至福感や充実感がある。
雑食多趣味に色々なものや事柄に興味があったり好きな感情が湧いてきたりなど、その日その時その感情によって好き!!となる対象に熱を燃やしながら、いろんな好物を巡回しながら趣味を楽しんでいる。

今回の記事は、どんどん変わりつつある自分の中での”趣味の存在”にまつわる記事だ。


私の中に眠っていたオタク気質への扉を開いたのは、ヘタリアという作品だった。
そこで人生の最愛(『フランス』というキャラクター)に出会ってしまい、そこから今まで私の心は完全にヘタリアに染められている。
ハマり始めた当時、最寄りのTSUTAYAになぜかヘタリアのキャラソンとアニメのDVDが全種類置いてあり、全種類借りて全部聴いたり一気見したりするなどで、そこから私はどんどんと深く深くヘタリア一色に染まることになる。
作者である日丸屋先生のブログを定期的にチェックしたり、部屋一面にメインキャラクター全員のポスターを貼ったり、某動画サイトで【手描きヘタリア】の文字でいろんな動画やMADを検索したり、
本気で絵の勉強をしようとなって絵の練習をするようになったりなど、私のオタク人生においてはかなり重要的な一部になっている作品だ。
今でも最新刊が発売されれば欠かさず購入し、時たまアニメを見返したりなどヘタリアへの熱は全く色褪せていない。

そこがオタク──好きなものに対して熱狂的になる人格への第一歩だった。

そうしてオタク人生が定着してきて少しした頃、アベンジャーズシリーズのMCUにも熱烈にハマり、
その後も、音楽、ゲーム、映画、漫画、アニメ、声優さん、小説、お笑い、舞台などいろんなジャンルの沼をどんどん開拓していった。
新たなグッズが出ればそこにお金を溶かしたり、何かイベントやコラボカフェがあれば足を運んだり、ファンアートや二次創作で同人誌を描くようになったり、今の言葉で言う『推し活』に没頭する日々。
完全に趣味一色に染まる生活。
それが私にとっての”趣味”であり、趣味こそが生き甲斐だった。



話は少し脱線するが、
私は数年前、私はお笑いの界隈にいたことがある。
雑食多趣味ではあったものの、お笑いの界隈は一時期中心的にいた趣味だった。
当時の私はとある芸人さんとその芸人さんが組んでいたユニットが好きで、よく渋谷の無限大ホールの劇場に通っていた。
ライブを1日で2個梯子することもあったし、三日連続で劇場に通って、芸人さんの出待ちをして、というようなそんな生活を送っていたことがある。
好きな芸人さんが組んでいたユニット──ソルティーズのことは特に大好きで、3ヶ月に1回ペースで開催されていたライブには毎回と言っていいほど必ず行っていた。
演劇の舞台化された時には、その舞台の期間中の公演は全て通うなどもしていた。
ただただ好きだという気持ちでファンアートもたくさん描き続けたりなど、好きな芸人さんや趣味が中心な生活になっていた。
程なくして、一番好きだった芸人さんもソルティーズも解散することとなり、私の現場通いに狂っていた時代は幕を閉じることになる。

好きだった芸人さんとソルティーズが解散した頃、
同時期にずっと追っていたMCUの大きなフェーズが一旦区切りがついて幕を閉じ、無印アベンジャーズ のメンバーであったBIG6の終止符と重なっていた時期でもあった。
そこで私は熱狂的に好きだった好きなものを二つ失ったショックで、趣味に対する情熱が少しずつ薄れていくようになった。

そしてその時期、
趣味ではなく、自分の人生の一部としてやりたいと思う生き甲斐になることが見つかった。
自分自身の世界観をのびのび表現したい。
そう思うようになってから、少しずつ創作の絵を描くようになった。
そうして2020年、正式に創作と作家活動を開始した。
そこから趣味ではなく創作と作家活動に集中する時間が多くなり、その時期くらいから趣味の楽しみ方が若干変わりつつあった。
同時進行で、創作や作家活動だけではなく、新たに勉強したいことが出てきたりもしていたので趣味を楽しむ時間はどんどん少なくなっていた。
熱狂的に好きだったものを失った後にかろうじて特に楽しんでいた趣味は川谷絵音さんの音楽で、
絵音さんの率いるバンドや単独公演にも時たま行くようになっていたわけだが、
お笑いライブに通っていた頃のような毎度毎度行くといったような熱烈な温度感ではなく、半年に1回、多くて2、3回ペースで息抜きとリフレッシュのための存在になっていた。
絵音さんの存在や音楽が本当にやりたいことへの良きモチベーションになっていて、その感覚は今も変わらずに「また今日から気を引き締めて頑張ろう」という気持ちにさせてもらえている。

この頃から、
趣味の存在が『生き甲斐』から『息抜き』や『リフレッシュ』に変わっていた。
個展や企画展、自分の世界観の作品を創り出すことや勉強に専念していたので趣味の絵も描く頻度が息抜き程度。
そんな風にしてマイペースに楽しみたいタイミングで趣味を楽しむようになった。


そうして昨年、創作と作家活動でかなり躓いてしまい、やる気を完全に放棄してしまったため創作と作家活動は一旦休息を取ることにした。
そんなタイミングで、熱烈にのめり込める界隈とジャンルに出会ってしまった。
そうしてまた趣味に没頭する生活に振り切る事になった。
なので昨年は、今までのオタク人生の中では例年に比べて特に趣味に没頭していた年だったように思う。

お笑い界隈にいた時のような中心的に好きなものだけに没頭していた時とは違い、昨年はいろんなジャンルに没頭した年だった。
この時点で、雑食多趣味かつ色んな界隈に足突っ込みすぎていた為に色んなオタクを網羅しすぎてしまったオタクが出来上がっていた。
2次元、2.5次元、3次元なんでも食べる。3Lも18↑も夢もなんでも食べられる、美味しくいただける。
そんな状態だったので『好き』の矛先がかなり多くなっていた。
1月に新ジャンルにハマり、元々好きだったジャンルに再熱し、のめり込むようにグッズを集め、コラボカフェに行ったり、他に好きなジャンルのものも並行して追いかけたりなど。
そんな状態でいろんなジャンルを同時進行でとにかくずっと趣味に没頭していた年だった。
久しぶりに熱烈にのめり込めるジャンルに出会えた事により趣味のことを考えるとワクワクしたし、
久しぶりに二次創作を再開しようと思うほどに気持ちは昂っていた。
その時は楽しくて仕方がなかった。
趣味こそが生き甲斐、いつのまにかそんな生活に戻っていた。

だが、とある時期から、とある趣味に対して少しずつ悩むようになった。
せっかく新しく開拓したはずの趣味も、思うように楽しめなくなった。
情報を追うのも集めたグッズを見るのも二次創作描くのもただただ辛いだけの悩みの種に変わる瞬間が何度か生まれていた。

久しぶりに趣味に没頭するようになってから、
情報は逃さず追わなければ遅れをとってしまう、二次創作を描くと決めたからには描かないと界隈から愛想を尽かされてしまうのではないか、などという感情でいつしか趣味に対して義務感のようなものを抱くようになってしまっていた。
そしてSNSでは公式の情報や新しい二次創作、即売会のイベントなど常に色んな情報がどんどん急速に更新されていく。
それらに無理にしがみつこうとしていた。
無理にしがみつこうとしていたため、楽しいはずの趣味が、いつしか疲れてしまうようになり体力ばかりが奪われていくような感覚になっていた。
思うように楽しめなくなったことで心の中で引っ掛かっている蟠りも深くなる一方だった。


そうして2023年の年の瀬、
私の中で心に残ったものは、熱烈に熱が高かったジャンルのではなく、全く別のものだった。
その心に残ったほとんどが、自分が無理することなく気楽に楽しめる趣味や好きなものだった。
特に周りを気にせずに、無理に情報を追いすぎることもなく、新グッズを買い漁るなどをするわけでもなく、必要最低限でも楽しみたいと思うタイミングでマイペースに楽しめるもの。
息抜きとして、リフレッシュとして楽しんでいたもの。
それが自分の中で一番心地よい趣味の楽しみ方だったことを再確認したのだった。
そうしたら、のめり込むように好きなものをただただ消費するだけの楽しみ方やグッズを集めるという意義がよくわからなくなってしまい、
一気に『趣味こそが生き甲斐』という感覚はゴロゴロと崩れていった。


2024年に入ってからの今現在の私はというと、
趣味の情報が目まぐるしく盛んに更新されるSNSにいる時間を少しずつ減らすようになり、自分の活動&生息拠点でのんびり過ごす時間が増えた。
何か描きたいものが生まれた時はそこで描き溜めたり、今の自分が程よくのびのびと趣味を楽しめるペースとリズムをチューニングするようになった。
そして昨年放棄してしまっていた創作と作家活動に対する意欲を取り戻しつつもあるので、自分のやりたいことをまた再び頑張りたいという欲が少しずつ煮えてきている。
同時に、お金の遣い方も変わったように思う。

昨年のクリスマスに今までの人生の中で特に好みドストライク極めすぎているかなり好き度が高くなるほどの人物(ニコラス・ガリツィン)に出会ってしまい、毎日浮き足立っているわけだが、
だからといって、ガリツィンのことをずっと追いかけてずっと没頭して、というような具合になるのは少し違和感だなとなっている。

自分の人生ではない誰かの人生ばかりを追いかけていたあの頃(お笑い界隈にいた頃)のような、
完全なゴリゴリの追っかけみたいな時代と勢いのある楽しみ方はもう十分にめいっぱい楽しみ尽くした。
その頃の『趣味こそが生き甲斐』な、趣味だけに没頭していた頃とは状況が一変していて、今は創作や作家活動といった本当にやりたいこともある。
本命でやりたいことをおざなりにしてまで趣味を優先させて没頭するのは、今の私にとってはなんだかちょっと違和感なのだ。
『推しは推せるときに推せ』という言葉もあるが、自分の人生もまた『推せるときに推せ』『今日が人生で一番若い日』だと思っている。

あくまでも自分のやりたいことや人生の中で大切にしたいことや自分の人生が主体であり、本命であり。
今、私にとっての趣味はマイペースに楽しむものであり、頑張りたいと思う事へのモチベーションになるような形になっている。
そして、ガリツィンという存在もまた、自分がやりたいことへの良きモチベーションになっている存在だ。
頑張りたいことへの糧になる楽しみ方や、気楽に息抜きとしてのんびり楽しむやり方が、今の自分にとっては趣味を楽しむのに一番健康的で心地よくいられている。
というのが結論だ。

趣味の楽しみ方はさまざまな形がある。
憩いのひと時である趣味の時間がとても好きだし、
好きだからこそ”趣味”との適度な距離感を大事にしつつ、これからも趣味を楽しんでいきたいと思う。


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