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距離をとるほど、近くなったら

 (物理的に)距離をとったら、(心理的な)距離が近くなるといいな、というお話です。ヘッダーの写真は、距離をとって向き合う実家の犬と猫です。

 私はBump of Chickenが好きですが、アルバム『jupiter』の中に「キャッチボール」という歌があります。キャッチボールをしながら、上手になって少しずつ離れていくと、声は遠くなるけれど、(心の)コエは近くなる、というような歌詞で、とてもいい曲です。

 最近の感染症対策で、ソーシャル・ディスタンシングという言葉がよく使われています。「ソーシャル・ディスタンス!」という貼り紙が3人掛けのベンチの真ん中に貼られている状況を見ると、メッセージの伝わりやすさとしては良かったのかもしれません(しかし、これを「社会的距離」と訳すと、社会学で議論されてきた言葉と同じになってしまうので、気をつけなければならないと思います)。

 さて、距離は地理学でとても重要な概念ですが、ほぼ同じ空間を共有していて距離をとる場合の距離は、地理学の対象とまではいかないかもしれません。「去る者日々にうとし」のように、ある程度地理的距離をとると、離れるほど疎遠になるというのが一般的イメージかと思います。

 物理法則では引力や音は距離の二乗に反比例して小さくなるそうですが、人の移動でも、同じように離れるほど影響力は小さくなります。ただし、日本の人口が東京に一極集中しているように、東京への具体的な距離よりも、国全体におけるネットワーク上の位置関係の方が重要になっています。


 さて、話は戻りますが、一般的にいえば、距離が離れているほど交流がなくなり、疎遠になるということがいえます。しかし、冒頭で書いたように、離れるほど近づく、ということもあるのではないでしょうか。そうなるためにはどうすればいいのでしょうか。

 私は、必要なものはとてもシンプルで、「想像力」だと思います。離れている相手のことを思いやり、ともに生きるための方法を考える。離れていても、元気にしているかなと心配する。そうした想像力が、私たちの心の距離を近づけてくれると考えます。

 昨今の状況は、目に見えないウィルスが移動することへの心配から、人の移動が過剰に批判され、とがめられ、心の距離は離れていくばかりだと感じます。まずは私たちの身近な人に、思いやりの想像力を働かせるのが大切です。しかし、大切な誰かを思いやる気持ちが、結果として知らない誰かを傷つけてはいけないと思います。

 大きな共同幻想のような想像力は必要ありません。知らない誰かが、他の誰かにとって大切な人であることを想像することが、私たちの心の距離を少しでも近づけてくれると思います。

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