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「雑」の字は「雑煮」にだけ使えばいい―「雑学」・「雑用」は本当にあるのか―

 この記事で言いたいことは「雑」ではなくシンプルです。「雑」という字は本来多様性を表すものではないか、「雑学」とか「雑用」のようなものは、本当は存在しないのではないか、という考えです。

 地理学(とくに文化地理学)の入門で、雑煮の調理法の地域的差異の話題はとてもよく紹介されます。簡単に説明すると、①餅の形が東日本では四角く、西日本では丸い②味つけにもすまし汁、みそなどの違いがある③局所的に小豆雑煮、あんもち雑煮などがある、といった内容です。皆さんがお正月に食べる雑煮はどんな特徴でしたか。思い出してみてください。具材にも地域性が出ています。

 ちなみに私の実家の雑煮は、「雑」煮のはずなのに餅しか入っていません(記事表紙の右の画像が私の実家の雑煮です。左の画像は私が食べたことのない一般的な雑煮をイメージして作ったものです。)。父の話では昔はサトイモが入っていたらしいですが、今は餅だけです。また、お椀に入れた雑煮の上から、たくさん砂糖をかけて食べます。雑煮はおかずではなく、おやつのような感覚です。

 このように、雑煮の「雑」の字が表しているのは「多様性」だと思います。多様性があるのは良いことだと思います。かつては家の中で伝承されていた雑煮の調理法が、クックパッド時代(と私が読んでいる、インターネットで調べたらどんな料理法も調べられる便利な時代)にどのように変化していくのか、地理学的にも興味深いです。


 さて、それに対して「雑学」、「雑用」はどうでしょうか。

 私は、中学生の頃から「雑学」という言葉があまり好きになれませんでした。何でも調べたり集めたりするのが好きで、友人が知らないことを知っていることも多かったと思います。しかし、友人に「雑学があるよね」と言われると、何となく違和感を感じていました。向こうは褒めてくれていたのかもしれませんが、私には文脈的に「意味のない知識を持っている」と言われたように感じたからです。

 「雑用」についても同じでした。かつて、いろいろな事務作業を担う仕事をしていたことがありますが、他の職場の知り合いから「雑用が多くて大変でしょう」と声をかけられたとき、違和感を感じていました。私は「どんな仕事も、自分のための勉強になるものですよ」とやんわりと返していましたが、具体的にどのように役立つのかまでは説明できず、もやもやしていました。

 しかし、改めて「雑学」と「雑用」について考えてみて、気付いたことがあります。「雑学」、「雑用」は、その言葉を発する人にとって整理されていないもの、よく理解されていないものに対して使われているのではないか、ということです。相手は詳しいようだけれど、自分にはあまり重要には思えないし、自分の中で分節化できないものが「雑学」で、自分からみて重要性があまり感じられず、退屈そうに感じられるものが「雑用」と呼ばれるのではないでしょうか。

 そうだとすれば、自分のなかでの重要性や、その知識の体系性などをしっかり説明できれば、それは雑学ではないと思います。また、人からみたら雑用でも、その仕事の重要性、そこから学べることがしっかり認識できていれば、それは自分にとっては雑用ではないと思います。

 実際に、私が取り組んでいる地理学という学問分野は、「雑学」というイメージを持たれがちです。地名や特産品の暗記というイメージが強いからかもしれません。しかし、地理学には「地域的差異」、「空間スケール」、「距離と位置」、「空間と場所」といった説明の枠組みがしっかり整理されています。それらの枠組みに基づいて説明すると、世界について詳しく知ることは決して「雑学」ではないといえます。

 私は子どもの頃から調べたり探したり集めたりするのが好きでした。それが今までつながって、地理に関わる仕事をしていると思います。あのとき「雑学」と呼ばれた知識は、今でも確かに自分の研究を支えてくれていると感じます。

 私が他の人から「雑用が大変だね」と言われた仕事も、今の私にとって大きく役に立っています。学生名簿の作成やグループ編成は、多様な学生のあり方を考慮したグループワークを行うときに不可欠な配慮と工夫を学ばせてくれました。掲示物の掲出や提出物管理は、文書の整理と体系づけの基礎を学ぶ練習になりました。人から見たら雑用でも、私にとっては意味のある仕事だったのです。

 ということで、「雑」の字は「雑煮」にだけ使えばいいというお話でした。ごちゃごちゃしているもの、複雑なものは、それを解きほぐす面白さ、楽しさを秘めています。はじめは退屈に感じるものでも、根気強く関わっていくことで、その向こう側にある多様性に出会うことができます。また、この考えは「職人」と呼ばれる人たちの修行にも通じるものがあると思いますが、それは記事を改めて書いてみたいと思います。

 皆さんがいま「雑学」、「雑用」と感じているものが、いつか皆さんの生き方に彩りを添えるものになりますように。

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