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今西和男著「聞く、伝える、考える」を読み、書き、考える。

育将 今西和男の初めての著書

日本サッカー界は、これまで多くの先人たちの手により形作られ、発展してきた。日本サッカー協会はその功績を称え、日本サッカーの発展に大きく貢献した者を日本サッカー殿堂に表彰している。眺めてみると錚々たる顔ぶれではあるが、本来ここにあるべき名前が見当たらないことに気がつく。今西和男だ。(文体からすれば今西と書くところではあるが、いつもどおり今西さんと呼ぶことにする。)

サンフレッチェ広島の生みの親として知られる今西さんは、私が知る限りサッカー界でもっとも多くの人材を育ててきた人物である。ノンフィクションライター木村元彦は、著書「徳は弧ならず」において今西さんを日本サッカーの育将と評したが、今の日本のサッカー界を中心となって支えている人物の系譜を辿っていくと、高い確率で今西さんとの出会いに行きつく。森保一、森山佳郎、風間八宏、松田浩、小林伸司、横山昭展、片野坂知宏、上野展裕・・・。枚挙にいとまがないが、彼らはみな、今西さんのもとで薫陶を受け、のちのサッカー人生を大きく切り拓いていった。それほど今西さんの影響力は大きかった。(恥ずかしながら私もその末席に名を連ねる。)

その育将 今西和男が、自らの育成哲学をまとめた著書が出版された。それが「聞く、伝える、考える。―私がサッカーから学び 人を育てるうえで貫いたこと―」だ。

今西和男の功績

日本代表まで経験した今西さんだが、選手としてのキャリアよりもはるかに大きな功績を引退後に残している。

今西さんがサッカーを始めたのは高校2年からで、当時でも随分と遅い方だった。東京教育大学を経て、東洋工業蹴球部(のちのマツダサッカー部、現在のサンフレッチェ広島)でプレーし、日本代表にも選出されている。腰の怪我に悩まされ、28歳で現役を引退。その後2年間はコーチを務めるが、その後はサッカーから離れる。
余談だが、大学時代には日本サッカーの父と言われるデットマール・クラマーから直接指導を受け、またJリーグの礎となった日本サッカーリーグでは、リーグ創設から4連覇を果たしている。今西さんは現在の日本サッカーの基礎が築かれる、まさにその渦中に選手として関わっていたのだ。

現役を引退し、コーチの務めを終えた今西さんは、マツダの自動車販売の営業や独身寮の管理などを任されることとなった。営業ではトップクラスの成績を上げ、3,000人規模の独身寮では寮兄制度の導入やリーダーシップ研修で軍隊のような管理から寮生の自治による管理へと移行するなど、社業でも著しい成果を上げていた。そんな折、低迷していたマツダサッカー部の再建を託されることとなったのは、今西さんが40歳を過ぎたころだった。

10年以上サッカーから離れていた今西さんは、その間のサッカーの進歩を観て、監督としての役割は果たせないがチームマネジメントを担うことはできると判断した。そこで、監督に就任するも、ハンス・オフトをコーチに迎え、実質的な現場の指揮をオフトに任せ、自らはマネジメントに徹する分業制をとった。のちにオフトに監督を譲り、今西さんは総監督として選手のスカウトや育成、マネジメントなど、チームの強化に奔走した。もちろんそのための会社との折衝もだ。この役割は、当時の日本にはまだその概念はなかったが、のちにゼネラルマネジャー(GM)のそれだったことがわかる。このことから今西さんは「日本の元祖ゼネラルマネジャー」と言われている。こうしてマツダサッカー部は低迷の危機を脱した。
同時に、選手教育にも力を入れる。待遇面では関東や関西のチームとの選手獲得競争に勝てないため、チームで育成するしかないという決断でもあったが、独身寮での経験も大きかったのではないかと想像する。Jリーグが選手のセカンドキャリア問題に取り組み始めたのは2002年のキャリアサポートセンター設立であるが、その15年以上前から独自の取り組みをしていたと考えると先見の明どころではない。

サンフレッチェ広島はJリーグ開幕からの、いわゆるオリジナル10に名を連ねているが、ここでも今西さんは奔走した。企業チームであったマツダサッカー部からクラブとしてのサンフレッチェ広島となり、もっとも西に位置するクラブとしてJリーグ元年を迎えた。
また、続く今では珍しくなくなったが、当時例がなかったユースの寮を作り、地元の高校との提携を実現する。サッカーだけでなく、様々な教育活動を取り入れたサンフレッチェ広島のアカデミーは、のちに誰もが認める日本一の育成型クラブとなった。

今西さんの功績は広島だけに収まるものではない。大分トリニータや愛媛FC、レノファ山口にはアドバイザーとしてJリーグ昇格に向けた支援を行い、FC岐阜ではアドバイザーからGM、そして社長まで務め、クラブの最大の功労者となった。
また日本サッカー協会では、現在の技術委員会にあたる強化委員会の設置にあたり、初代委員長の打診を受ける。これに対して今西さんは、広島を離れられないため、委員長は専任できる者が担うべきとの考えを伝え、副委員長を引き受けた。今ではすっかり定着したトレセン制度を導入し、全国各地域で選手を育て、質の高い指導を提供する仕組みをつくったのも今西さん、日本代表が初めてワールドカップに出場を決めた最終予選、加茂周監督を更迭し、岡田武史コーチを後任監督にと進言したのも今西さんだというから驚きだ。
今西さんの功績は、ここまで紹介したものでも、おそらくほんの一部に過ぎないのだから、いかに日本サッカー界に貢献してきたかがわかる。

こうした背景を知ってこそ、ようやく本書の内容の話に移ることができる。

人を大切にする

今西さんの育成哲学を綴った本書、中でも第一章の最初のテーマが「人を大切にする」だ。冒頭を少し引用する。

私が最も大切にしていることは「人を大切にする」ということだ。
これが「人と人の関係をつくり上げる上で最も重要なことだ」と強く思っている。サッカー関係者に限らずこれまでに関わった人とは、「相手のことを一人の人として接する」ように心掛けてきた。

P17.

このことが今西さんのすべての根底にあることは、今西さんと関わったことがある人であれば、誰もこの言葉を疑わないだろう。自分に害をなす者にまで同じように受け入れるところがあるくらいで、周りの人間が本気で心配をしなければならないほど誰彼構わず丁寧に接している。

広島で生まれ育った今西さんは4歳のころに被爆している。これが今西さんの原体験だ。今西さんが後進に自分の経験を語ることがあるが、ときに今も残る左足のケロイドを見せながら、必ずと言っていいほど被爆した話から始まる。そして「サッカーと出会ったから成長できた」と。

体は血まみれで、左半身に大きなやけどを負い、特に左足のやけどがひどかった。まともな治療など受けられるはずもなく、ケロイドとなり、左足の指は自由に動かせず、足首も自在に曲がらなくなった。半ズボンになるとケロイドを見られている感覚になり、恥ずかしさを強く感じることが多く、私にとっては大きなコンプレックスとなった。

P18-19.

幼少期、今西さんはこのケロイドが原因でいじめられ、いつも悔しい思いをしてきた。
私の知る今西さんは、冗談を交えながらとてもよくしゃべるユーモラスな人物だ。人前で話す機会も多く、その堂々とした話姿からはとても想像できないが、「子どもの頃は引っ込み思案で人前で話すことなんてできなかった」という。しかし、この話を聞けばうなずかざるを得ない。戦争を経験していない私たちの世代にはとても想像することもできない辛い思いをたくさんしてきたに違いない。
では、それがなぜ今のように明るく社交的な性格に変容したのだろうか。それが、サッカーとの出会いだ。
ケロイドが残り動かしにくい左足は、今西さんをサッカーから遠ざけていた。しかし、高校2年にして先輩の誘いでサッカーを始めることになる。そこでのチームメートはケロイドを気にすることもなく、ありのまま受け入れてくれた。

揶揄する人がいたからこそ余計に「自分を大切にしてくれる人には、自分も相手を大切にできるし、そうしたい」と思うようになっていた。
そして、自分自身を受け入れてもらえるうれしさ、喜びを衝撃的に感じることができたのが、サッカーだった。

P19.

チームメートともにサッカーにのめり込む今西さんには、幼いころに言われた父の言葉が、ようやく実感として身に染みてきたのだろう。

あるときそんな父が、幼い私に「お前は、原爆で死んでしまっていたかもしれない。でも、こうやって生き残れたということは、誰かが助けてくれたからだ。だからお前は、人を助けられるような、人の役に立つような人間になりなさい」と言ってくれた。この言葉は今でも鮮明に覚えている。そして、この言葉がずっと私の中にある。

P20-21.

「人を大切にする」、この最初のテーマがあるからこそ、あとに続くサッカー選手としての、人としての成長に必要な育成哲学の一つひとつが、強烈なまでの説得力を帯びてくる。そしてそれは、第三章、第四章にある関係者たちの証言によって、さらに輪郭がはっきりしたものになっていく。

サッカー選手である前に良き社会人であれ

今西さんがマツダサッカー部の総監督に就任して以来、一貫して発し続ける言葉がある。それが「サッカー選手である前に良き社会人であれ」だ。今西さんの薫陶を受けた今西門下生は、どの時代であれこの言葉とともに教えを受けてきたはずだ。では、「良き社会人」とは一体どういうことか。その答えが本書に示されている。

考えた末に行きついた私なりの考えが「社会で生きていくことができる」ということだ。人としてこの世に生まれてきた瞬間から誰かと関わることを避けることはできない。人は必ず、誰かと関わりながら生きていかなければならず、社会の一員として生活し続けていくことは避けては通れない。

P98-99.

「社会で生きていくこと」ができるようになるために欠かせないのが「自立する」ことである。ここで声を大きくして伝えたいのは「自立とは、個(孤・一人)で生きていくことではない」ということだ。 (中略)
私が考える「自立をする」とは、「一人で生きていく、やっていく」ということではなく、「社会の一員として生きていくこと」である。これこそが、「サッカー選手である前に、良き社会人であれ」という育成に関する理念の本質でもある。

P99-100.

社会で生きていくこと、そのために自立すること、これを良き社会人としての基本としており、それは決して一人で生きていくことではなく、社会の一員として生きていくことであると説いている。今西さんの根底には「人を大切にすること」があることを考えると、それはつまり、人と人との関わりの中で生きていくことの大切さを表していることがわかる。そしてその基礎となるのが双方向のコミュニケーション、本書のタイトルにもなっている「聞く」「伝える」「考える」だ。よく考えると、人見知りで引っ込み思案だった今西さんらしい答えだ。
そしてここもまた今西さんらしいなと思うのが、「サッカーは社会の縮図」であり、良き社会人であるために必要なことは「サッカーで学ぶことができる」と言い切れるところだ。いくつもの経験をもとに、その要諦を示しているため、誰もがどこかしらで自分と重ね合わせることができるだろう。

被爆から苦しい幼少期を過ごした今西さんの人生を劇的に変えたサッカー。たったひとつ球遊びを通して、生きるうえで大切なことを見出し、実践し、伝えてきた今西さんの哲学が、貴重な経験談とともに語られる本書は、社会の一員として生きるすべての人たちのための一冊、つまり誰にとっても必要な普遍的な人生の教本と言える。

決して華やかではないけれども、地に足をつけた確かな仕事をする人を私は信用する。
立場に関係なく、人を大切にし、その人の長所を引き出す仕事をする人を私は尊敬する。
自らの頭で考え、人との対話を通して、その人にしかできない仕事を成し遂げる人に私は憧憬する。

私にとっての今西和男はそういう人物だ。
私は私なりの良き社会人を目指していこうと、あらためて決意する。


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自分の真意を相手にベラベラと伝えるだけが友情の行為ではないということさ。それがわたしの提唱する真・友情パワーだ…(キン肉アタル)