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分岐点

思えばLOV時代にこういうことがあった。

いろいろあってゲーム内ギルド(メンバー20名ほど)を運営していたときの頃。 私がギルドマスターになってからもう4年目にさしかかるところだったか。

中傷まではいかないけど、他人をランク付けするタイプのメンバー(しかも行動力はある)がちょっと他のメンバーに対する言葉使いが悪く、一応注意したんだけどなかなか改善せず、ガマンできなくなった私が耐えられずに抜けるって話をした。

そこでいろいろ話し合いをし、それでも揉めたんだが、ひょんなことからその問題の人が私の代わりにギルドを運営するという話に。
勿論納得しない人は抜けて頂いて構いませんということになった。

しかし、メンバーの殆どが「私にギルドを続けて欲しい」「このギルドが好きだから抜けるつもりはない」と言ってくださった。

結局その問題の方とそのリア友だけが抜ける形となり、ギルドは私がマスターとして存続することになった。

その後は大きなトラブルもなく、月一回のギルド演習や飲み会を経てサービス終了まで駆け抜けた。

メンバーにはランキング常連のトッププレイヤーもいたこともあり、全体的なプレイヤーレベルも高く、私では力不足ではないか?と感じていた。

そういった悩みを打ち明けたことがあったが、皆が「先代のギルマスがちらしを選んだんだし一生懸命やってくれてるから問題ないよ!」って言ってくださった。本当に有り難い話だ。
結局サービスが終了するまでに全国ランキングに入るギルドに成長し、楽しい思い出を残したままギルドは解散…

と思いきや、まだまだTwitterDMで繋がっており、季節の挨拶を交わす程度には縁が続いている。

あの時、例のメンバーが抜けてくれなかったらずっとマウントや当たりの強い発言でメンバーはストレスを感じ続けていたのではないか。
そのストレスでギルドが解散していた可能性が大いにあったのでは。

実際、ランカーが集まったギルドで1年続いたところを殆ど見たことがなかったんだけど、結局ゲームシステムの宿命なのか、プレイヤー同士のマウントの取り合いとかでギスギスしてしまったんだと思う。

まぁたられば話なので、これが本当に存続や解散の要因かはわからない。


しかし、「マウントを取る人」や「強い言葉を使いがちな人」を排除することは一見差別的な行動ではあるが、大きな意味があると思う。
他人は自分に対する言葉ではなくとも非難の言葉を聞いているだけで消耗してしまうとも言われている。
他人が非難されているのを見ているだけで大きなストレスになる。

存在意義があるのは例え腕が立ってもマウントを取る、プレイヤーレベルで人を差別するようなプレイヤーではない。
本当に必要なのは言葉を選び、他人を思いやり、お互いに頑張ろうと励まし合えるプレイヤーなんだろうなって感じた一件だった。

実際、メンバーはずっと応援してくれてカードを譲ってくれたり動画みてアドバイスくれたり、励ましてくれていた。
初ミスリル踏んだ時はみんな喜んでくれて本当にうれしかった。

そして今、同じことが繰り返されようとしている。

あの頃から七年が過ぎた。
私もいい感じに歳を取り、これまで培ってきた人生経験と読んできた本や立場やジャンルは違えど接してきた大勢の人達のおかげで多少なりとも成長できた。
特に教育機関での勤務で知り合った方々からは普通の職場で働いていたのでは解らなかった人への接し方のコツ、仕事への向き合い方、人と仕事をするときに大事なことを学んだと思う。

教育機関というのは、どんな人も受け入れるし平等に学ぶ機会がある場所だ。
例え失敗しても手を差し伸べてくれる場所でもある。

その経験故に人間関係をあっさり切ることに躊躇するようになってきたのも事実。今でも人を切ることにもの凄いストレスを感じることが多い。(ちなみにこういう人は割と多い気がする)
私から切るより、相手に去ってもらったほうが精神的ダメージが少ないのだ。

人には学べる、成長できるチャンスが平等にあるはずだ。 気づきがあればいつでも学びも可能だし年齢を問わず変わっていくことができるはず。(勿論自分に対してもだ)

と思っていた。

グループが大きくなればどうしても問題が出てくる。
当然否定的な意見も多く届くようになる。

それぞれの問題にどう向き合っていけばいいのか数ヶ月悩んだ。

これから選ぶ選択がどんな結果になるのかは解らないが、「私が」選択しないといけない瞬間が近づいている。

どの選択をしても後悔するだろう。
それでも最良の選択をしたと信じたい。
あのときのように。


※とあるところに投稿したものを加筆修正しています。 


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