見出し画像

#8 芸術とはなにか

「大丈夫」って、返事としていかがなものかと。
自分は割とコンビニで「レシートは?」なんて聞かれた際の返事として
「大丈夫っス」
とか答えちゃうんだけどね、、、

「大丈夫」だけだと、一体なにが大丈夫なのかがわからず曖昧な回答かと。
例えば上記のレシートの件なら、
「レシートなくても大丈夫なので不要です」
なのか
「レシートは必要なので、つけてもらって大丈夫です。ください」
なのか。正反対じゃない。
白黒つけないのが日本文化の良さだと言うひともいるが、物事はやはり多角的に見るべきで。
白黒つけないことが必ずしも「良さ」だけを発揮するとは限らない。その逆だってある。

とは言うものの、世の中には曖昧模糊とした概念や文化も多く、一筋縄でいかないのも、これまた事実。
俺が身を置く「音楽」なんて世界もね、曖昧なことだらけですよ。

というわけで今回は「芸術とはなにか」をテーマにiPhoneのキーボードを叩いてます。

いきなり脱線するが俺は割といろんな人の影響を受けていて、その中にはおよそミュージシャンが影響を受けた人物の名前としては(一般的に言って)なかなか最初に出てこないようなひともいる。

そのうちの一人が、落語家の故立川談志師匠。

彼の論によると、「芸術とは人間の醜さを肯定する言い訳である」と。
もともとは生き物を殺すために投げていた槍でも、槍投げというスポーツの枠組みにおいてはスポーツという芸術として成り立つと。
人間誰しも、人には言えないような性癖を持っているものだ。それを表現する場としてのエクスキューズが芸術だと、彼はそう言う訳です。

俺は音楽は芸術とは思っていない。良くて芸能。
その違いは大衆的かどうかというところに線引きがある。

俺の感覚だと、芸術ってのは「わかる人にわかればいい」っていう世界。
芸能は、「誰もが共感するような時代の代弁者」ってイメージかな。

ギター弾いてるプライドとして、上記の定義でいう「芸術」としての音楽をつくりたい気持ちも無いわけではないが、割合としては圧倒的に後者の方が強いわけで。
なぜなら、表現というものは他人に共感されてなんぼだから。

談志師匠が「俺の落語は芸能だ、芸術じゃない。芸術なんてもんはつまらねぇ」と言う意味も、恐らく同じかと。

風呂上がりにパンツ一丁で書いた曲がヒットすることもあるのだから、俺としてはリスナーのみんなにも風呂上がりにパンツ一丁で聴けるくらいのスタンスでいて欲しくて。
これがショパンの曲だのゴッホの絵だのとなれば、柿ピーつまみに聴いたり眺めたりしてる訳にはいかず。

#Chira #エッセイ #立川談志 #ギタチラ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?