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#9 「慣れ」とは

 先週はお休み頂いてありがとうございました。どうしても外せない私用があったもので。その休みに、とある大学の文化祭にお邪魔してきました。数年前まで学生だったのに、当時とはこうも感じ方が変わるものか、と妙な感慨に耽っていたり。
 そうこうしているうちにギタチラの存在など頭から消え去っていたのでしょう。気づいたら締め切りをとっくに過ぎていたどころか、公開日になっていた。ギタチラを始めたころ、文章を書くのは初めての仕事で新鮮に感じていたけれど、そのモチベーションもたかだか2か月程度で馴れ合いに変わったということなのだろうか。
 ギタチラには何段階か〆切がある。第一段階は毎週水曜日。この段階までに原稿を書き上げておいて、公開の土曜日までに推敲しましょうねっていう意味での〆切。これが3日前ね。
 次の〆切が毎週金曜日。考えが変わったとか、急にどうしても別な内容を書きたくなってしまった場合のために設けている第二〆切。特別なことがなければ特に意識することはないが、まぁ前日だし下書きを読み直すくらいのことはしている。これが昨日ね。
 この二つの締め切りをすっ飛ばして公開当日のしかも17時を過ぎてパソコンのキーボードを打っている僕は今、特に慌てているわけではない。Chiraの他の仕事(たとえばレコーディングなど)は後工程があるため、僕の作業が遅れると次の仕事をする人にめちゃめちゃ迷惑がかかる。その分、〆切を守ろうという意識はあるし進捗に遅れがあると焦りもする。「焦ってギター弾いてもいい曲なんてできないんじゃないの」と誰かがシャンパン注ぎながら慰めてくれるのを期待しつつ。
 だがギタチラには後工程がない。推敲にしろ何にしろ全部自分でやってるので、迷惑がかかるとかは、ない。読者に迷惑という考えもあるが、土曜日の何時に更新とまでは言ってないので、毎週土曜の23時59分までに仕上がればセーフと思っている。まぁ、実際は土曜のうちに読み終わっていろいろ感想を持つ時間も含めての締め切りだと思うから、21時までには絶対に仕上げるけどね。
 この仕事はどちらかというと自分のペースを保つためにやっている感じが強い。IGTVとかもそうかな。だから〆切を過ぎて原稿を書いていても泰然自若としていられるんでしょうね。一瞬でも記者を目指していた時期があることを今この場で恥じたいと思います。


 さて。長々語ってきましたが今回は「慣れ」についてです。


 突然ですが「~に慣れる」って英語で何というでしょう。中学2年くらいで習ったと思いますが "be used to ~"と言いますね。
 昔から何となく違和感を感じていた表現。直訳したら「~に使われる」って意味だからね。使われ慣れた、みたいなニュアンスなんでしょう。履き慣れたスニーカーの、スニーカー目線てことね。

 慣れは諸刃の剣と思っていて。常にスニーカーの目線でいられるならとてもいいことだと思うわけ。勝手知ったるみたいな世界なわけだからね。
 でも実際にはスニーカーの目線で居続けることはほぼ不可能に等しく、どうしたって僕らはスニーカーに対しては「履く」目線で慣れてしまう。このタイプの慣れは厄介だ。人は慣れる生き物だが、慣れた途端に世間をナメだすから。

 人は、と大きく出たけど自分だけだったらすごく恥ずかしいなこれ。。。

 ギタチラの〆切をすっぽかしたのもある種「慣れ」の仕業だと思う。ただ、僕の場合常にスニーカーの目線で慣れて居られる世界があって、それが「ギター」なんだよね。
 ギターはいまだに弾いているというより弾かされているような感覚が強い。ギターに弾かされて弾いている俺と。俺に弾かれて弾かせているギターと。両者がマッチしたときに本当の意味で「鳴る」のだけど、うまく言葉にできないなぁ。阿吽の呼吸でやってきたベテラン漫才師みたいなもんか。

 そんなことを思いつつ、今日も今日とてギターを弾くのでした。。。


Chira


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