他宗教2世にとっての、7月8日。


1.2024年7月8日前後、私はおかしかったのです…

こんばんは。
実は今日の午前中は寝込んでいました。
身体の平衡感覚がおかしくなってしまって、重力にまったく逆らえない感覚…。

大学時代に心身の調子を崩してから、とくに調子が悪くなったときの感覚そのままでした。ここまでクラクラと力の入らない感じは数年ぶりかな…。
12時まえに、のろのろパスタを作り、片付けて2時間ほど横になって…やっと復活しました。


そしてニュースやTwitterを見ながら気づきました。
今日は7月8日…。
安倍元首相が亡くなった日だったのですね。

思い切り調子を崩したのは今日ですが、ここ数日、私はおかしかったんです。
それまで「宗教2世としてのあれこれは、もう書かなくても生きていけるかな」と言うくらいに落ち着いていたのが、急に宗教2世としてもの申したくなってしまいました。

Twitterで一度書き出すと止まらなくなり、自分のモードが切り替わってしまったようで、戸惑っていました。
もしかしたら私の中の何かが、7月8日という日を覚えていて、反応してしまったのかもしれません…。
「命日反応」とか「アニバーサリー反応」と呼ばれるものに似た状態なのかも…。

◆ちょっと自我状態療法の話
 …私にはまだ、治療しなければいけない部分がある

ここでトラウマ治療の一つである、自我状態療法の話になってしまっで唐突なのですが…。

モードが切り替わるときは、大抵話を聞いてた挙げられてない「自我状態」が主張してるときなんですよね。

(自我状態療法では、自分の中に複数、個性や抱えた記憶のちがう存在がいると考えます。その存在は「パーツ」や「自我状態」と呼ばれます。)

だから数年前に自我状態療法を扱ったときには、出てこれなかった自我状態(パーツ)が宗教関連の記憶を抱えていて、ふとしたキッカケで私の中の出口を探しまわっているのかもしれません…。

私はまだまだ2世としての苦しみは過去にできてないな。この部分も治療が必要なんだな…。
(宗教虐待からくるトラウマは、扱うことができずに丸々取り残しているのです…)
今日はそんなことを思い知らされました。


2.2年前、宗教虐待の記憶のふたが開いたときのこと…


2年前の7月8日、安倍元首相が撃たれたというニュースを見て、震えが止まらなくなりました。
そのときは山上容疑者の動悸は知らず、この国で要人が暗殺されたという事実が、ただただ恐ろしかったです。

その後、報道を通して徐々に、統一教会の2世問題を知ることになり、最初は多くの人と同じような立ち位置で怒っていました。

しかし徐々に、自分の調子がおかしくなるのを感じました。急に身体中が怒りでいっぱいになったり、キリスト教にまつわる記憶がランダムに噴き出てきたり…。
自分に何が起きているのか、理解ができませんでした。

ただ、かつての私がキリスト教から離れるときに、「信教の自由」は私には届かないものだったのを思い出し、子どもにも「信じない自由」はあるはずなんだと改めて気づく部分はありました。

それとともに、
「そうだよね!やっぱりあれ、おかしいよね!」
と気持ちの面でもキリスト教から離れて数年経っていたからこそ、自信を持って思えたことはありました。

・結婚をめぐる独特の圧力…。
・大人たちが「私たちは素晴らしい人たちの集まりなのだ」と思い込むための舞台装置のように、そこにいた子どもたちが扱われていたこと…。
・精神疾患や精神科への差別。
・罪や世の終わり、地獄が怖かったこと。
・罪の告白を強要されることが苦痛だったこと。
・政治活動の強要が苦痛だったこと。
(署名など。私が政治のことを話せなかったり、考えるのも苦手だったりするのは、この辺りのトラウマも関係しています。)

まともとは思えない経験をしてきた自覚はありましが、自分がこんなに悔しく怒っているのだと気づいたのは、事件後のことでした。


3.宗教2世として、Twitterにたどり着いて…

やがて私はTwitterで、統一教会やエホバの証人の2世さんたちの言葉を読みあさるようになりました。
(この頃は子育てが(物理的に)一番忙しかった時期で、なぜTwitterに辿りついたのかは記憶がない…)

そこで主にエホバの証人の2世さんたちの経験を読みながら、私が昔、アメブロで親の虐待とキリスト教への憎しみを綴っていたときに、JW2世さんたちが共感してコメントをくださっていたことを思い出したりもしていました。
(そのブログは、あるクリスチャンに粘着されて閉鎖)


◆「被害者」の立場で宗教2世問題にキレる、クリスチャンたち…

私は試しに、「自分がいた教派名+宗教2世」でTwitter内を検索したことがありました。
そうしたら想定外ながらも、腹立たしいものを見てしまいました。

まず、とある信徒が、宗教2世問題のニュースを見るとザワザワするとつぶやいていたんです。
そして、それに対して、
「ザワザワするなんて、おかしい。私たちは統一教会とは別なのに…」
と攻撃している信徒がいて…。

こういう人たちが教会内や、家庭の中で、子どもたちに身勝手な理想を押し付けているのも想像できてしまったのがまたね…。

私は確かにあなたたたちの教派の中で苦しんできたのに、いないものとして扱われるんだな…。
改めて、怒りと悔しさが込み上げました。

Twitterで少しずつ呟き始めたのは、
「私はいるんだ…」
と主張したかったのかもしれません。

違う教派ではありますが、同じキリスト教2世の人たちも繋がることができ、
「私の頭がおかしいわけじゃなかったんだ…」
と謎の安心をしていました。


…自分の体調のことを書く予定が、2年前のことを書きはじめて止まらなくなりました。
こうなったら、ここ2年で感じてきたことを書こうと思います。何回かに分けて、書くかもしれません。

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