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今年の七夕(心がつらいときは手を動かす)

お久しぶりです。
note更新が滞っておりましたが、キリスト教以外の話も気楽に書いていこうかなと思っています。

私は虐待サバイバーでもあり、今は双極性障害の治療をしています。ここ数年症状は安定していますが、時々「ああヤバい、これは鬱スイッチが押されてしまうかも…」というときがあります。
多いのは、自分の人生が、自分の裁量内にないと感じてしまうときです。

私は幼い子どもたちを育てています。
かわいいし、変化が向こうからやってくるので普段はとても楽しいのです。

ただ、ここ2ヶ月ほど幼稚園であらゆる風邪が流行っているため、ほぼ毎週熱を出しては幼稚園を休んでおり、振り回されているのも事実です…。
「これやろうかな」という考えていることが、ことごとく流れてしまい、自分の精神衛生のためにもう前もって考えるのをやめました。

(小さな予定がポキリポキリ折られていくのも、あまりに積み重ねると気持ちの面で負荷がきてしまうんですよね。私、器が小さいので…。)

こうした振り回されている感覚、自分の人生が自分の裁量のなかにない感覚…また、いつまでこの状況が続くのかも分からない先の見えない感覚。
この感覚が強くなりすぎると、私は鬱スイッチが押されてしまうようなのです。虐待サバイバーなのも関係してるのかもしれません。

そして、この「ああ、私ヤバいな」という感覚が来たときは、とりあえず何か作るようにしています。
ここでお見せするほどのものでないものも、ちょこまかちょこまか作っています(笑)

理屈は分かりませんが、作っていると「私の人生私のもの」という感覚が取り戻せるから不思議です。

作るものは結局子ども関連のものが多いのですが、自分でやると決めたことに没頭してる、といのが良いのかもしれません。
作業に集中することで、ネガティブなことを考えるのがストップされるので、思考が休まり元気になるのは感じています。

たぶん私が4〜5歳ごろ、紙でいろいろ作るのが好きな子どもだったので、工作しながら子ども時代の自分を解放している感覚もあるのだと思います。あれこれ作っていると、小さな自分が思う存分楽しんでいるのを感じます。

そんなわけで今年の7月5日〜6日も夜なべをして、ストロー、新聞紙、緑の紙テープで笹の葉を作っていました。

私が下手くそなのもあり、しなやかさが足りませんが、実物はもう少し笹っぽいです(笑)

(ちなみに作り方は、こちらのサイトを参考にしています。)

家族にもお前は夜中に何をやっているのだと突っ込まれましたが、子どもたちのためというより、自分のメンタルの安定のためだったのです。

(ただ作業に集中できるのも、メンタルの治療がうまく行ってある程度自分が安定しているからではあるのですが…。)

当日は子どもたちと、折り紙を星型に切ったり、折り紙で鎖を作ったり、飾ったり…。
飾るの、思った以上に喜んでくれました。

鎖は子どもが「頭につける」と言い出して、冠のようにかぶったりと楽しかったです。

子育ては心配なことも多いですが、子どもが予想外のことをしてくれると頼もしくなります。
これから自分とちがう人間として育ってくれる、芽生えがうまれているようで嬉しいのです。

それは私が母から、母の狭い理想にガチガチに押し込められて育ってきたからかもしれません。

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