キリスト教2世の、"この世"と"クリスマスの本当の意味"との葛藤

まえの記事では、私の子ども時代のクリスマスの記憶について書きました。


そんな私も成人し、クリスチャン同士で結婚して欲しいという母親の希望(執着)を無視して、ほぼ無宗教の夫との交際を始めました。
母は当然気に食わぬ様子で、実際嫌がらせもされました…。
(この辺りのことは、以前記事にしたことがあります)

母がとくに生き生きと嫌味を言っていたのは、クリスマスシーズンです。
マジョリティな日本人である彼ら(現夫)にとっては当然、クリスマスは恋人とデートする日なのです。

母はここぞとばかりに、
「クリスマスって本来そういう日じゃないでしょ?ねえ…」とネチネチ…。

私も一応クリスチャンとして育っているから、母のいう理屈も(悪意も感じつつも)理解はできる。でもクリスマスに限らず彼とは会いたいし、一般社会のクリスマスの空気でデートするの楽しいじゃん…。


とはいえ虐待サバイバーの私に強固な意思などなく、母と現夫の両方を立てる道をひたすら模索しました。
夫の職場近くの、見映えのする教会(もちろん所属宗派)の礼拝に付き合ってもらい、その後ディナーというデートコースを組んでもらいました。

夫の親がたまたま、クリスチャン家庭(母だけだけど…)に好感を持っており、
「きちんとしたお家のお嬢さんとデートさせてもらえることを考えなさい」
と夫に口添えしてくれ(こればかりは運が良かった…)、夫も了承してくれました。

(きちんとしたお家のお嬢さんのはずが、実は虐待サバイバーとか、義父母も受け入れがたかろうとは思う…)

そして当日は教会の前で証拠写真を撮って、母に送りました。

礼拝ではたまたま知り合いと隣の席になり、知り合いが
「神様のお導きですね」
と言ったのを聞いた夫が、文化の違いにびっくりすることもありました。

「すごいな。あの人ガチのクリスチャンだな。
ちくわってそういうこと言わないから、ガチじゃないんだな」

とか言ってました。
そうかあ、教会の外の人ってそういう感覚かあ…と新鮮だったあの頃でした…。

トラウマというほどでもなく、どちらかというと楽しい思い出だけど、やっぱり家の宗教はなんかしんどい。今日はそんなお話でした。


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