宗教1世の母には、一般社会の感覚が通じない…

伝統的なキリスト教2世として育った私が、クリスチャンではない今の夫と結婚するまでを書いてきました。
結婚話といっても主に、私にクリスチャンとの結婚を期待していた母からの嫌がらせについて書いてきました。


今日は嫌がらせ以外にしんどかった話…。
それは、母には宗教に深く関わらずに生きてる人の気持ちが分からないということでした。

以前、下のリンク記事にも書きましたが、母はのちの現夫にキリスト教の話ばかりをしていました。


私が母にやめてほしいと言っても聞いてくれず、
「◯◯さん(夫)、キリスト教のことあんまり好きじゃないわね」
「△△さん(私の兄弟の恋人)はすごくよく聞いてくれるのに」
「キリスト教って特別なものじゃないでしょ。世界の常識。それを(現夫が)変なものみたいに捉えるほうが視野が狭いのよ」

などと何倍もの言葉が返ってきました。

私の夫は、自分の関心外のことにも興味を持とうとする人ではあります。たぶんキリスト教の話も、時々ちらっと出てくる程度であれば興味を持って(持とうと努めて)聴いただろうと思います。

でも毎回私の実家に顔を出すたびに、キリスト教の話を一方的に話されたら嫌になるよねと…。
多くの人にとっては、その人を理解するのって宗教とか信念だけではないはずなんですよ。どうでもいい話しにこそ、相手を物語る何かが宿っていることだって多いはず。

でも母にはそれがわからない。

もう二つ、母の無意識の気持ちを加えるなら、
・夫をクリスチャンにして、母が教会コミュニティでちやほやされるようにしたかった。(逆効果)
・母にとって宗教は、私を支配する道具でもありました。夫が自分のコントロールが効く人間が見定めていた。

ということがあると思います。

だから夫の宗教話への反応が薄いことで、夫が「コントロールの及びにくくて、自分にあまり合わせてくれなそう、機嫌を取ろうと躍起になってくれなそうな人物」だと言うことを察して機嫌が悪くなっていたんでしょうね。

しまいに夫は交際中も理由をつけて、あまり私の実家に来なくなりした。
「お母さんの話を聞くのはしんどいし、何よりも家だとちくわちゃんが大人しくなってつまらない。ちくわちゃんとも、ちゃんとしゃべれない」 と言われてしまいました…。
当然の反応だと思います。

母はとっては、私に対してそうだったように、他人は「理解し合いたい」と思う対象ではなかったのでしょうね。
悲しいけれど母にとっての他者は、ただたた自分を理解して受け入れてくれる人、自分の期待に100%応えてくれる人でしかなかったのだと思います。

母の場合、教会に依存を強要されたわけではなく自ら依存を深めていったのですが…。
一生母と生身の人間同士の心のやりとりはできないだろうと寂しく思います。
(それ以前に自分の人生を守るためには距離を取らざるを得ない相手なのですが…)


今日の記事はここまで。お付き合いいただき、ありがとうございました。
最後に、私が結婚にあたって宗教面で考えた内容を書き記した記事のリンクを貼っておきます。
たぶん宗教2世で結婚の方向性や、宗教外の人とのコミュニケーションに悩む人にとって少しは参考になる内容なのではないかと思います。

良かったらリンク先に飛んでみてくださいね♩

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