【トラウマ治療】自我状態療法で、出てきた"男の子"のこと…

前回、前々回と、私が学生時代に感じた男尊女卑について書いてきました。


(色々書いておいて、私は何も闘っていないのです…不甲斐ないことで…。)

このnoteは、元々私がキリスト教2世として経験した宗教虐待や、その他の虐待、そしてトラウマ治療について書いてきました。
朝ドラ『虎に翼』に触発されて、ジェンダーにまつわることを書いてきたわけですが、私がこうしたことをハッキリ意識できたのは「トラウマ治療」がキッカケでした。

トラウマ治療で扱ってきたのは、虐待やいじめに遭ったときの記憶がほとんどですが、たまに予想外の気づきがあります。今日は、そんなお話です。

(本丸の虐待トラウマの治療を書くには、私もまだ勇気が必要という事情もあります…)


「自我状態療法」で出てきてくれた「男の子」のこと

1.「自我状態療法」って、どんなことをするの?

こちらのnoteでも書きましたが、私は「EMDR」、「SE」、「自我状態療法」という手法を使って、治療をしてもらいました。

「自我状態療法」は、人間の心はいくつかの小さな自我状態(パーツともいう。それぞれ性格、好きなもの、抱えている苦しみなどがある)で出来ていると考えています。

このパーツ同士の連絡がうまくいかなかったり、完全に存在しないものとして押さえつけられていると不具合が出てくるという理屈です。
(これが完全に分かれてしまうと、解離性同一性障害になると考えているようです)

私が受けた自我状態療法では、「私の心全体」を大きな家としてイメージさせて、その中の一つ一つの部屋に「自我状態」が住んでいて、その住人と対話していくという方法をとりました。
(もしかしたら、他の方法もあるかもしれません…)

こうして対話をしていただき結果、私の自我状態は30ほどありました。
中には"加害者"(私の場合は、虐待してきた母)の思考回路を取り込んでしまった「自我状態」もいくつかありました。母を取り込んだ「自我状態」は、常に私を批判したり、身を守るために母から離れることを責め立てたりしていました。

母を取り込んだ自我状態と対話を重ねるのは、本当に疲れるものでした。臨床心理士の助太刀(言葉がけ)なしにはとても無理…。
トラウマ治療の開発がどんなに進んでも、結局は治療者のことばでときほぐす部分が大きいなと感じています。

自我状態療法を経て変わったことが、2つあります。

①「体と心がバラバラ」という状態がなくなったこと。
→「やらないといけないのに、頭痛や吐き気がひどい」というような、メンタルの身体症状がなくなりました。

②自分を責める言葉が、自分の頭のなかで流れなくなった。
→治療前の私は、ただ生きるだけで毎日毎時間この"思考回路"と戦わなければいけませんでした。
この戦いだけで自分のエネルギーは枯れて何も出来ないし、希死念慮もひどかったです。
今では随分、頭の中が静かになったのを感じます。


2.12歳の少年の「自我状態」が現れたときのこと…

その中でも印象的だったのは、4歳の女の子と、12歳の男の子でした。
特にこの男の子が現れる前と後とでは、自分の心の中が全く変わってしまいました。今日はこの子の話をしたいと思います。

その子は「私と言う家」(治療中のイメージ)の地下から現れました。
恨みや苦しみを抱えていると言うよりも、まっさらな雰囲気で、とてもエネルギッシュ。

私の場合、現れた自我状態は、イメージで出てきた部屋の内装や環境含め、悲惨なことが多かったです。そうした意味でも、タイプの違う自我状態でした。

「とにかく役に立ちたい」
「やりたいことが沢山あるんだ」

と、せっかちなタイプです。
心理士の語りかけで、まずは休むよう「説得」し、「彼」が快適に休める部屋をイメージのなかで準備しました。


3.男の子の「自我状態」が現れて、一気に変わったこと

この治療を受けたすこしあと、たまたま人前で話す機会がありました。
(専門家ではなく、とある属性の一市民として…)

人前で話すことは、私にとってはただただ恐ろしかったはずなのですが…。
あれあれ?今の私、聴いてくれてる人の反応もクリアに見えてるし、なんか楽しいじゃん…どうした?何が起こった??

あの「男の子」の自我状態が今、前面に出ているんだろうなとは思ったのでした。
実はこの自我状態が出てきてから、いつのまにかその場の話し合いのまとめ役(子ども関係の役員とか)をやってしまうこともあります…。

ただ、「しきられる」と言うだけで嫌な気持ちになる人もいるのは事実です。
変わった自分を使いこなしていくには、まだまだ時間と経験が必要そうです…。ここは今も手探りです。


4.私は男性が怖くて、"彼"を眠らせたのだ…

ところが、この自我状態クンは「別の葛藤」も運んできました。この子が表に出てきたあたりから、私は男性全般へのしつこい怒りに苦しむようになりました。

夫の扶養に入り、夫のお金でトラウマ治療を受けている私が「男性、腹立つ…◯×※△(以下自粛)」などと思っていること自体、おこがましいとも思いました。
そもそも夫に怒っているわけでもなかったしね…。

この男性全般への怒りについては、のちのち象徴的な記憶をEMDRという手法で処理することになりました。


今日書くのは、私の男性への怒りが噴出したのが何故「男の子の自我状態」が現れた直後だったのかということです。
これは臨床心理士さんに言われたことでもなく、私が最近気づいたことですが、おそらく「この子が12歳で止まっている」ことが鍵になります。

私はちょうど、12歳前後で転校しました。
転校した先は、その前に比べて女性が発言することへの"圧"がきつかったのです。

女子生徒が話し合いを仕切れば、男子から「あの仕切り魔」と陰口を叩かれ、
(男子を「仕切り魔」とは言わない)
男子より成績のいい女子がいたとしても、
「男子3大部脳」と言う言い方で、そんな女子の存在をみんなで葬り去ってしまう…。

私の無意識は、我が身を守るために「自分の中の、12歳の男の子」を強制的に眠らせたのだと思います。

私の怒りは、自分のかけがえのない一部が欠けた状態で生きねばならなかった悔しさなのかもしれません。



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