虐待について、母に手紙を書いたときのこと


私が大学時代にメンタルを完全に壊して動けなくなり、母親からは心配どころか罵倒の嵐…。私が病気であることを認めようとしませんでした。
(そのときの話は、こちらの記事で書いています)


この事態に対して、大学の保健センターも私が安全な環境で治療できるように介入してくれました。


そしてもう一つ、私はアクションを起こしていました。それは母に手紙を書くことでした。


手紙の内容は、
・母には育ててもらって感謝しているものの、母とは距離を置きたいこと
・母の暴力がいつ始まるのかが分からず、家の中では毎日緊張していたこと
・両親の仲が悪く、家の中がピリピリしていて安心できる時がなかったこと
・心を病んだ時に、私を心配するのではなく、あそこまで侮辱の言葉を吐けることが信じられないということ…

手紙にしたのは、対面で母にマイナスのことを言うのは不可能だったからです。

この手紙と、保健センターから母への電話とがほぼ同じタイミングになりました。
そのため、保健センターの先生と母と私の三者面談をしたあとで、母と私は手紙の内容について話をすることになりました。

母は頭のなかに、大学の保健センターの先生がチラつくからか大人しかったです。でも全く私が覚悟をして書いたことが、まったく響いていないことはよく分かりました。

「ママ、△△(私の兄弟。壁を壊すなど物理的な犯行で母を屈服させた)のことは沢山叩いちゃったと思うけど、ちくわのことはほとんど叩いてないの。
ちくわが嘘つくから許せなかっただけ」


※ではここで、母がほとんど叩いてないといった暴力の内容の記事を貼り付けておきます。強烈なエピソードなので、読んでいてしんどくなったらページを閉じてください。

※つづいて、私が嘘をついたと言って母が2週間殴る蹴るの暴行を加え続けた話です。

嘘をついたからと言って、人間ここまで憎しみをぶつけつづけられるものなのだろうか。自分の母ではあるけど、改めて恐ろしいです。
しかも母が、ここまでやっておきながら、これらを酷い暴力だと認識していない事実には、頭が真っ白になりました。

さて、母は続けました。
「過去のことを気にしても、何も意味ないでしょ?ママの生い立ちも気にしてるみたいだけど、そんなのは気にしなくていいのよ」

このときはまだ、一応親子だから良好に付き合えなければならないと思っていましたが…。

それでも、私が母の虐待ついて手紙を書くのがどれだけ怖く、覚悟の必要なことだったのか、この人が理解する日は来ないのだろうとも思いました。
昔もこの時もこれからも、母とは一生、気持ちのやりとりができないのだろうと確信しました。

実際母は、大学在学中は大学保健センターの介入で大人しくしていたものの、私が書いたこの手紙のことを恨み続けていました。
いつか別の記事に書く予定ですが、私が結婚するときには、この手紙のことを何度も持ち出して延々怒鳴っていました。
私が書いてもいない内容まで付け加えて…。

さて母がここまで自信満々だったのには、教会の人たちの存在がありました。
決して教会が悪い、教会の人たちが悪い、というわけではないのですが、今でも私は怒りに限りなく近いモヤモヤを抱えています。

次の記事では、その話を書いていきますね。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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