そんなこと、推しは絶対願ってないだろう案件が勃発するとき。
宝塚でもBTSでも、何かに、誰かに夢中になることが人生そのものを楽しくしてくれるって信じてる。
その世界に夢中になる、浸る、追いかける、萌える。それで充分なの。日々が潤うから。肌でもなんでも潤いが一番大事だから。
…と、元気な時は無条件に思ってるし、毎日推し達のことを考えることに忙しい。だけど、精神的にあんまり元気じゃない時はおかしな方向へ行ってしまうことがある。
彼らは、彼女らは、あんなに頑張っているのに、自分は何をしてるんだろう。
あんなに若くして結果を出しているのに、自分ってなんて小さいんだろう。
推しみたいに頑張ってない自分てほんまにダメだ。
もっと頑張らねば、推しはみんなもっと頑張ってるんだから。
→こんな風に、推しと自分を比べて悪い方向へと持っていってしまう。
そんなこと、推しは絶対願ってないだろう案件勃発だ。
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例えば、あの娘役さんのようにヘアアレンジを可愛くできるように頑張ろう!とか、ちょっとでもホビのダンスに近づけるように練習頑張ろう!とか。
RMの思考をちょっとでも覗いてみたいから、彼が読んだ本を読んでみよう!とか(これはまさにわたしがやってること)
今よりちょっとでも進化するため、新しい世界を覗くために頑張ろう!と思うのはすごく素敵なことだ。
逆に、最初に挙げたようなおかしな方向へ行っている場合、土台には自己否定がある。
「今のわたしではダメだから」「もっと頑張らなきゃわたしはダメだからやらなきゃ」そんな焦りと強迫に追い立てられている。
そこには、
「推しが上」「わたしは下(劣っている)」
この図式が出来上がってしまってる。
本当にさ、こんな風に自分たちを使われたら、わたしがアーティストならすごく悲しいよ。
自分を愛することの大切さを歌っているのに、どうしてそっちに行ってしまうの?どうして今の自分を認めてあげないの?自分を愛するために僕たちを使って欲しいのに…。
○○だから優れている。
○○じゃないから劣っている。
そんなことは絶対にないってわかってるのに。
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でも、そんな自分を振り戻してくれるのも、大好きな推し達なんだ。
苦しい時、しんどい時に聴くためのプレイリスト。
現実離れした美しさを堪能できる舞台やライブ。
大劇場にいる間だけは全てを忘れさせてくれる、魔法。
明日も生きてみよう。
もうちょっとだけ、やってみよう。
自分を否定してしまう日があっても、わたしは自分の好きなものへは絶大な自信がある。こんなに素晴らしい人たちはいないって、心から思ってる。
そうやって思考が一周回って、ちょっとおかしくて笑っちゃう。結局、大好きなのは変わらないやんって。人生を彩ってもらってるんだって。
自分が好きなものには自信があるってことは、それを選んだわたしの見る目が素晴らしいということだ。
それだけですごくない?
「人生つまんなーい」って生きている人もいるんだから。推しがいたら忙しくってそんなこと考える暇もないっちゅうねん!
ね、だから、それで良いんだよ。きっと。
元気がない時は「推したちはこんなにすごいのにわたしはミジンコ…」と落ち込み、でもやっぱ好きぃ😭となり、「いやいやこんなに素晴らしい人たちを好きになったわたしってすごくない?(ドヤ)」とおさまる。
やっぱり推しがいる人生って素晴らしい…!
(あ。元気出てきた)
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