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満開の桜と一緒に、大嫌いだった祖母とお別れした話。

3月31日。
父方の祖母が、92歳で亡くなった。

花が好きだったばあちゃんは、桜の花が満開の中空に帰っていった。なんともまあ、あの人にぴったりな最期だったと思う。


「郁子さん、もう1ヶ月もたへんかもって」

母からそんな話を聞いたのは、亡くなる2週間ほど前だった。大病もせず元気だったあの人も、ここ数年は軽い認知症と高齢による体力低下で、体調の振れ幅が大きかったように思う。

80代になるころ施設に入り、同じ頃に結婚をして実家を離れたわたしは、もうこれでこの人と会うのは最後にしようと決めていた。

そう、包み隠さず書いてしまうと、わたしは、父方の祖母「郁子さん」が、大嫌いだった。


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苛烈で人の気持ちを察して言葉を放つことがほぼ皆無だったあの人は、32年同居していた嫁である母をいびり、息子である父を離そうとせず、我が家をいびつな家族関係へと作り上げていった。

そんな中で育った孫であるわたしに対しても、愛情はかけてくれたけれど、デリカシーに欠けた言葉がけを繰り返し、幼かったわたしはどんどん傷ついていった。

(生理が来るのが早かったことをからかったり、発育も早かったから身体的なことでセクハラめいたことを言われたり、あげるとキリがないのである。具体的になんと言われたかは、ここには書けない。なんというか、ねっとりしていた。人が気にしている隠しておきたい部分になんの配慮もなく手を突っ込み、引きずり出すみたいな)

そんなことが何度も何度も起こってきたから、中学に上がる頃にはもう、祖母に心を開くことはなかった。

夫と付き合って4年がたった2012年、結婚を前提に同棲をすることになり、家を出た。

その2年後、生活面や排泄面など、できないことが増えてきた祖母に合う施設を探すため、家族4人であちこち見学へ。

その日から8年。
一切会わずにいた。

息子が生まれても知らせなかった。自分の人生にあの人が介入してくるのが、本当に本当に嫌だったから。

なんて冷たい孫だろうと思うだろう。でも、家族だからこそ許せないこと、どうしても相入れないことってあるんだ。

わたしは自分の身体に強いコンプレックスを長年抱いて生きてきたけれど、その根底には第二次性徴期にあの人から言われた配慮のない言葉たちがいる。

(こっそりBLコミックを読んでることがバレた時も、こんな不潔なものを読むなんて!と叫ばれたな)

✳︎

亡くなる2ヶ月ほど前。
今年に入ってすぐのころ。

なぜか急に「会いに行かんとあかん。」と思った。理由は特になかった。ただただ直感で、そう感じたのだ。

「お父さん、今度郁子のとこ行く時、わたしもコグマ(息子)連れて一緒に行くわ」

「おお、わかった。ほんなら一緒に行こか」

息子はこれまで母方のひいばあちゃん(愛子ばあちゃん、91歳)しか知らず、「もうひとり大きいばあちゃんがいるの?」と目をくりくり。

もう記憶も曖昧で、わたしのこともわかるかどうか…と聞かされていたけど、7年ぶりに会った瞬間、

「えー!ありさ(本名)も来てくれたの⁉︎」

車椅子に乗ってだいぶ痩せていたけど、顔つきがつるんとして、可愛くなったばあちゃんがいた。

「えー!ありさの子供?!わたしのひ孫?!」

(父も母も、私に子供が生まれたことを一切話していなかった。私がお願いしてそうしてもらったけど、ここまで徹底して守ってくれたことに、わたしたち家族の抱えてきたものが表れていると思う。祖母もこれまで、私の話は一回もしたことがなかったらしい)

こんな顔だったかな。
もっとキツい顔してたよな。
つるんとして、子供みたいだな。

毒気みたいなものが抜けきって、なんだか別人みたい。

「ありさは顔が変わりすぎてるわ。こんな顔だっけ」を向こうも連発していたから、お互いに会わなかった7年間の長さよ。

30分くらいの短い時間だったけど、息子はお気に入りのぬいぐるみを祖母に触らせてあげて、ニコニコと笑いかけ、2人は初めて会ったのにそんな感じが全くしなかった。

帰り道、母と、「良い時間だったね」としみじみ話した。わたし以上に母は祖母と本当に色々あったのだ。施設に入るまで32年間、父と母は2人で暮らしたことがなかったのだから。

それからたった2ヶ月で、あの人は亡くなった。


お通夜とお葬式は家族葬で、両親、わたし、夫、息子。5人で静かに見送った。

まさか自分が泣くなんて思ってもなかったのに、安らかに眠る顔を見ると、ポロポロ涙が流れた。

最期の最期、出棺の前に棺へ花を入れながら、母とふたりもう一度泣いた。

母もわたしも、本当に本当にこの人に傷つけられてきたのに、こうして穏やかに見送れる日が来るなんてなぁ…と話しながら。

「毎日ご飯作ってくれて、ありがとう」

わたしから、祖母への最後の言葉。

小4の頃に主婦だった母が働きに出るのと入れ違いに、家のことを全てやってくれたのは祖母だった。28年実家にいたうち、17年くらいは母よりも祖母の手料理を食べた回数が多い。

わたしの体は、あの人のごはんで作られていた。

感謝することなんてない。大嫌いだもん。散々傷つけやがって、もう絶対に会わないから!

そう思って徹底的に関係を断ち切った20代。

ずっと張り付くようだった祖母から解放され、自分の家庭をつくった30代のいま。

わたしにも大嫌いだったあの人の血が流れていて。息子にも、流れていて。あの人がいなければ、自分が生まれてくることもなかった。

本当に苦しいことがたくさんあったけど、そんな当たり前のことを最期に思った。

花が大好きで生け花の免状も持っていた祖母。

斎場の周りには桜が咲き乱れていて、さすが自分の最期をこの時期にするなんて、なんとあの人らしい。

よく食べ、よく寝て、遠慮のかけらもなく誰にでも強い言葉をぶつけ、長生きで。病気もせず大往生。

もう本当にあなたとは色々ありすぎたけど、わたしをこの世に存在させてくれてありがとう。

桜を見るたびに、きっと思い出すよ。


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