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どうでもいい人間関係を作れる心のゆとり

私の知人に、40過ぎても何かとアウトローな人がいる。
知人と書いたのは、私自身がさほど仲良くもなりたくないからだ。

彼はゴリゴリのタトゥーが入っており、和彫もチラホラ。そういった風態であっても、純朴に過ごしている引退したカタギの方であれば、会話も出来るものだが、その彼は、今も感覚がアウトローなのである。

どうアウトローかと言うと、まず、知らない人間が飲み屋に入ってくるとガンを飛ばし、「アイツ、オレにガンくれやがった」と舌打ちし、相手が勝てそうな素人さんと分かるや絡みにいく。
もう一度言うが、彼は40過ぎだ、、。

一応飲み屋のグループLINEに入ってるのだが、「これオレの後輩だから!」とテンション高く勝手にグループLINEに誰も知らない人間を追加しては、翌日、「アイツ、オレの電話に出なかったから」という理由だけで退会させる、、。
そんな感性の持ち主なのである。

私はそんな彼が好きである(仲良くなりたくはないが)。
「めっきり寒くなってきましたねぇ」なんて、ドッと力が抜けるどーでもいい会話するより、ズバッと本質に切り込む剥き出しさがあった方が話が早いし、人間味がある。

とはいえ、剥き出しすぎるのもどうかと思うものだが、とにかく、彼はそんな塩梅なので誰からも煙たがれる。

私の場合、彼より身長と年齢が高いという事で、彼の絡みは免れているが、絡まれる方はたまったものではないし、酒も不味くなる事この上ないだろう。

恐らく、彼の思考回路はこうだ。
「いるのは敵か味方のみ」

同じ男としては、とてもカッコいい考え方だとは思う。
男の子的考え方というか、思考がゴッドファーザーというか。

これは言い換えると、「どうでもいい人間関係を構築する心のゆとりがない」とも言えると思う。

男たるもの敷居を跨げば七人の敵あり、ではないが、確かに世の中敵は多い。
中途半端なぬるい関係を築くよりは、生き死にを共に出来るファミリー、ブラザー、アミーゴがいればそれでいいのかもしれない。

しかし、問題は、生き死にを共にする人間関係なんて、戦場にいかない限りはそーないのである、、。

恐らく、そこには心の寂しさという女々しさを十分に感じさせる皮肉、悲哀もある。
十分な親の愛情を注がれず、愛に飢えているが故に、親密な友、そうでないのなら敵、といった安直な思考回路に陥る。

まあ思春期にありがちな考え方ではあるものの、大人になっていくと、味方の多さより敵の少なさ、の方が重要になってくる事に気付くもんだが、本人的には、アウトローで居続けるのがロック!と言わんばかりに、そんな調子でしか生きていけない不器用さがもどかしい。

それと逆パターンで、どうでもいい人間関係しか築けない人、というのもいるが、それはまた別の話なのでここでは割愛する。

皆さんも、どうでもいい人間関係を作れるくらいの心のゆとりを大切に。

おわり

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