優しさと自己犠牲


ゴールデンウィーク最終日ですね

ずっと家の中にいたら終わりました。ステイホーム!


暇なので本を読み返していたんだけど、ふと自分的に「なるほど!」と思ったことを書いてみようと思います。


それは、優しさと自己犠牲について。

私は昔から 優しいね、とか、いい人だね、と言われることが多かったです。

周りの人には親切にする、というのは、確かに心がけていたけど、私の場合それはほとんど自分のためだったように思います。

ただ自分が相手にしてあげたいから、とかではなく、いい人に思われたいから、こんな価値の低い私を受け入れて欲しいから、優しくしていました。歪んでいる( ゚д゚)

だから、本当はやってあげたくない時もあったけど、義務のように親切にしてました。


そういうのを続けていると、厄介なことに、「バニのすけさんならやってくれるだろう」というイメージが固定してしまいます。

そうすると、最初は感謝してくれていた人も、私のやることを当たり前だと思うようになるのです。

私は、もっと受け入れてほしくて、必要としてほしくて、さらに親切な行動をとるようになります。心理学的に言うと「他人軸」で生きている状態ですね。


で、また感謝されなくなる。という。悲


こういう自己犠牲が美学だって思っていましたが、ある本に、

表面上は自分の自己犠牲に満足しているように見えても、心の奥では喪失感を抱いており、それが自己犠牲の対象に対する怒りや憎しみにつながる、

と書いてありました。


確かに、私が自己犠牲精神満載でいた頃は、周りの人間が嫌いでどうしようもなかったです。

こんなに頑張っているのに、それを当たり前のように思っている人たち、さらに仕事を押し付けてくる人たち、という印象でした。


今思えば、それは私が作り出していた環境だったのかもしれないですね。


先ほどと同じ本に、

私たちに自己犠牲を求めるような人は、実際どこにもいない

とも書いてありました。


まあいないとは言い切れないけど、確かに、誰かに無理をさせてまで何かをしてほしいとは自分だって思いません。

だから、私も自分が嫌な思いをしてまで誰かを助ける必要はなかったんですね。




よくいる、いい人なのに大切にされない人、に必要なのは、優しさを与えるテクニックだと思います。


優しさには、サプライズ性、というか「主体性」が大切です。


これはつまり、「自分が親切にしたい時は親切にする。嫌な時ははやらない」ということです。

毎回やってあげていると、私みたいにそれが当たり前になり、相手は何もしなくなる。それは、言い換えれば、相手の役割を自分が奪ってしまっていることにもなります。

だから、常に親切にするのではなく、自分がやってあげたいと思う時にだけやること。

そうすると、その行為の貴重性が高くなり、相手からも感謝されるし、自分の疲労感も減ります。


いつも相手に尽くしすぎて疲れる人は、誰かを助けたい、と思った時、すぐに行動に移さずに、まず考えることが大切らしいです。

「今自分がしようとしていることは、自己犠牲なのか?それとも自分が心からしたいと思ってしようとしているのか?」を自分に尋ねる。


そうして少しずつ自己犠牲の優しさを減らしていけると、人にイライラすることも減り、周りからも大切にしてもらえるようになるんじゃないでしょうか。

他人は、自分が自分を扱っているのと同じように接してきます。自分を蔑ろにしていると、他人からもそういう扱いを受けやすいのです。




そもそも、人に優しくできる、というのはとても素晴らしいことだと思います。

それが自分を蝕んでいかないためにも、「主体性」「自分軸」を意識してほしいですね。




・必要以上にやってあげない

これが人間関係ではとても大事なことだと、私もようやく最近わかってきました。


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