アダルトチルドレン③-4
春ですね
もはや春を通り越して夏なのかも?と思うくらいあったかいです。
今日はアダルトチルドレンについて、克服に向けて色々やってきた中で、私なりに感じたことを書いていこうと思います。
私はずっと
「なんで私は周りのみんなみたいにできないの?」
「なんで何も悪くないのにこんな惨めな思いしなきゃいけないの?」
と何度も思ってきました。
心の問題は目に見えないし周りからわかりづらいから、理解もされない。
心は子どもなのに、振る舞いは大人になるしかない。憎しみがたまる、周りが嫌いになる。
本を読み漁り、試しては引き戻され、
変われていない自分を自覚させられる。
感覚としては
出口があるかもわからない真っ暗な迷路に1人取り残され、前進してるのか後退してるのかもわからないまま歩き続ける感じです。
空からは雨が降ってきて体が冷えていく。
何度も転ぶ。その度に必死で立ち上がる。
助けを呼ぶ。誰も来ない。
また転ぶ。もう立ち上がる気力も残ってない。
そんな日が何年もあった気がします。
その中で鍛えられたこと、それは
分析力、行動力、洞察力、忍耐力、継続力、
そして共感力
です。
自分はなぜこうなってしまうのか?
それに対してどうアプローチすればいいのか?
アプローチのために最も効果的な方法は何か?
それらを考え実行し、継続する。効果がすぐ感じられなくても、とにかく続ける。
これをずっと続けてきた結果、
少しずつ生きやすくなりました。
幸せに生きていたら、こんなこと取り組みもしないし、考えもしなかったでしょう。
最初から人間関係を上手に作れる人は、家庭の中で自然に培われた感覚でやっています。
アダルトチルドレンはそれが培われていないので、知識と技術でどうにかするしかありません。
ただ、最初からなぜか出来る人は、できない人にやり方を教えることができないのです。
できない気持ちもわかりません。
天才は説明ができない、とよく言いますけど。
できなかったけどできるようになった人は、
説明ができるのです。
そして、「なぜかできない人」の気持ちも理解してあげられます。
迷路の中で雨に打たれて立ち上がれない人を、傘を持って迎えにいくことができます。
それって、とても尊いことです。
アダルトチルドレンを克服することの意味は、そこにあるのではないかと私は思います。
大きな試練だけど、乗り越える過程の中で、かけがえのない財産がたくさん手に入っているのです。
ナチスのホロコーストから生還した精神科医 ヴィクトールフランクルさんの言葉ですが、
これが全てだと思います。
私の座右の銘であり、墓石に掘ってほしいくらい好きな言葉です。
苦しくて辛くて惨めな経験をしたあなただからこそ、気持ちをわかってあげられる人がいる、助けてあげられる人がいる、
そんな人たちが未来で待ってる
そう思うと、頑張ってみようかなと思えたりします。
そして私が今こうして生きづらさを少しずつ克服できているのは、
過去に立ち上がってきた人たちが手を差し伸べてくれたからです。
YouTubeや本、カウンセリングなどを通して励まし、情報をくれたから、ここまでくることができました。
もちろん幸せな家庭に育つのがハッピーですけど、
アダルトチルドレンという人生のルートでしか得られない宝も多いのだと思います。
以上が、
アダルトチルドレン克服の中で私が感じでいることでした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?