見出し画像

*好きな理由を言葉にしてみました


わたしは昔からパズルが好きです。

ジグソーパズルも

クロスワードパズルも

イラストロジックやナンプレとかも。


最近は2000ピースのジグソーパズルを完成させました。


就活のとき、履歴書の趣味欄に「ジグソーパズル」と書いたくらいにはパズルが好きです。


最近、自粛期間中にずっとパズルをしていたと伝えると

なんで好きなの?

とか、

何が楽しいの?

と、よく聞かれました。

なんならいま勤めてる会社の面接でも聞かれたなと思い出しました。


なんでなんでしょう?


いつもうまく答えられないんです。

「好き」をものすごく感覚的に捉えていることが多くて、好きなものに対して好きな理由を答えることが苦手なんです。

でも、「好き」をことばで伝える場面って日常の中にものすごく多くあって、それをうまく言えないなんてなんだかもったいないなぁと思ったんです。

だから、ちょっと考えてみることにしました。


ちょっと考えて思ったのは、

小さなヒントを地道にひとつひとつ組み合わせていったら大きなひとつのものが完成する過程が好きなんだと思います。

それと、その道のりが基本一通りしかないこと。もしその過程でひとつでも間違えたら全部がくるってしまう。正解がはっきりしているからこそ、それに当てはまったときに湧き上がる喜びや達成感を味わえる瞬間が好きなのかも。

ひとつも間違えることなく正解を導き出せたときの嬉しさは一味違います。


例えばジグソーパズルでいうと、

これはここかな?と思って当てはめてみたら全然違くて綺麗にハマらないことってよくあるんですけど、そういった試行錯誤なしで絵や形から得た感覚だけでこれはここでしょう!と思って当てはめてみたときに、見事綺麗にハマってくれたら、よっしゃ!ってガッツポーズしたくなります。

その感覚が好きなんだと思う。


あと、導かれてる感じも好きかもしれない。

まず最初はここ、次はここ、ここができたら今度はここができる、そうすればここも・・・

その繰り返しなんです。

パズルには作者がいて、作者が思うように自分たちは動かされてると思ってます。

作者が思うところで案の定つまづいたり、作者が思った通りのフェイクにまんまと騙されたりする。でも、ちりばめられてるヒントは必ずあって、それを見つけて紐解いていって答えに辿り着くことができたらすごく嬉しい。その駆け引きが楽しい。

難しすぎてもダメだし簡単すぎてもダメ。

その絶妙なバランスが自分にどんぴしゃなパズルに出会えたときはものすごく嬉しい。

よくできてるなー!と嬉しくなるんです。

それを攻略していく作業が楽しい。


言葉にしてみると少しずつ「好き」が具体的になっていくのね。


ちょっと考えてみてわかったことは、

完成させたときの達成感ももちろん快感で嬉しい気持ちもあるけど、どちらかというと、できるまでの時間を楽しんでいた。

だから、一瞬でできちゃうとつまらないと感じるのか。なるほど。そういうことか。


結局、


なんで好きなのか?

地道にひとつひとつの小さなピースを組み合わせていく過程が好きだから。


何が楽しいのか?

ちりばめられたヒントから答えを導き出していく作業が楽しい。

楽しいと感じるのは、ひとつひとつが組み合わさった瞬間が気持ちいいからかな。それに完成までにワクワクやウキウキをたくさん感じられるから。



そういえば、

目標に向かって何かするよりも、目の前のことを夢中になってやっていたら、気づいたら大きなものを得ていた、という生き方のほうが好きなんだった。

パズルが好きな理由もそういうことか。


自己満足だけどすごくスッキリ納得できました。


好きなものは好き!という感覚的なのも好きだけど、なんで好きなのかを突き詰めて考えてみるのもおもしろいね。


では、最後まで読んでいただきありがとうございました。


最後まで読んでいただきありがとうございます。少しでも「スキ」と思っていただければ嬉しい限りです。