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短編『何も気にならなくなる薬』その192

人体自然発火現象

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インサイダー


とあるバーにて。
「君、インサイダー取引って知っているかい」
「アレですよね、未公開情報を持っている内部者が有利な形で取引をすることですよね」
「世間一般ではそうだな。マスター」
マスターは頷いて男の持っていたウイスキーのグラスに炭酸水を注ぐ。
「これもインサイダーだ」
「何を真面目な顔してくだらないことを言っているんですか」
「たまにはこういうくだらないことも世の中には必要だよ。で、今回の件はこれだ」
「焼死体事件ですか」
「あぁ、若い男性だ。身辺調査の限りでは彼が自殺を考える線は薄い。それにだな、わずかだが彼の体にはないであろうものも一緒に燃えていた。これはおそらく怪奇の類かもしれないな」
「また怪奇ですか」
「これが当たり前になれば怪奇でもなんでもないのだが」
「そんなことが頻繁に起こっても困るんですよ。それで彼の体が自然発火したと」
「いや、火種は他にある」
「それじゃあ自然発火ではないですよね」
「男性の焼死体には女性の髪らしきものも見つかった。おそらく火種は彼女のほうだろう」
「でも、その女性は死体が見つからなかった」
「おそらくは彼女だけが助かったのだろう。もしかしたらどこかの病院に運び込まれているかもしれない」
しかし、病院の来歴にはそれらしき人物はない。
「ということは彼女は日常生活を送れるくらい、身体はなんともなかったのでしょうか」
「ともなると、彼と付き合っていた。もしくはそれに近い関係の女性が当てはまるわけだが」
「殆ど見つかったようなものじゃないですか」
「またなにか下手に刺激をして燃えたりしたら困るだろう。この手の怪奇は感情が伴う。だとしたら彼女は今、人に触れないように自宅にいるかも知れない」
「だとしたらまずいですよね」
「あぁ、すぐ近くに発火材料がある」
少し遠いところから消防車のサイレンが聴こえる。
「さしずめ親が刺激をして発火したのだろう」
「どうしましょう」
「とにかく現場に向かうしかないが、おそらくは難しいだろう」
彼らがその場に到着したときには火災現場はボヤ騒ぎで済んでいた。
「彼女は克服できたのかもしれない」
「とにかく入りましょう。失礼します。警察です」
「警察?」
少し怯えている彼女の手にはスポンジが握られていた。
「ええ、警察です。少し特殊ですが、えー、娘さんはいましたね、本当になんともない。火傷の後もない」
「関心をしている場合じゃないよ。私達は特殊な事例を扱っている部署でね、この間、若い男性が焼死体で見つかったのは知っているかい」
「はい……」
「そうか、君が素直に話してくれて嬉しいよ。我々の方ではこれを怪奇現象として扱っている。だから世間に知られることもない。これは安心してもらいたい。法律で裁くこともできないが、その反面、社会で生きていくのが困難なことがわかるだろう。だからそのような人たちの生き方を探すために私達がいるんだ」
「でも、私は彼を」
「あれは事故だ。君はどうすることも出来なかった。ならせめて君には生きていてもらわないと彼も浮かばないだろう」
「生きていいんですか」
「あぁ、いいんですよ」

ウイスキーと氷がグラスの中でカランと音を立てる。
「あれから彼女はどうしたんです」
「普段から水を持ち歩くのはもちろん。水辺の近くにいれば問題がないであろうということで、今はプールの監視員のバイトをしている」
「プールですか。将来はどうするんでしょう」
「それも含めてまた彼女を訪ねる予定だよ」
「水辺の近くと言われると海女さんですかね」
「制限はあっても選択肢はたくさんある。そんなに焦ることもないだろう。マスター、なにか面白いニュースはあったかな」
「とある学校のプールが干上がったそうですよ」
「それってまさか」
「うーん、まだ彼女には色々と経験が必要なのかもしれない」

美味しいご飯を食べます。