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短編『何も気にならなくなる薬』その134

人の話を盗み聞きというのはあまりいい趣味とは言えない。
しかし、着想を得るにはやはり他人の選んだ言葉を利用するのがいい。

飲食店に長居をする女性二人。
断片的に聞こえる会話の単語からして、恋愛事情だろう。
後悔、バイト、あのときも、連絡頻度。どうやって別れ話を切り出すか、そんなことを悩んでいるようであった。
別れ話をされる彼からすれば唐突なことかもしれないが、何日も考えた結果だと思うと仕方のないようなことだと思う。
ときに別れ話が縺れて事件に発展するような話もある。
いわば恋人に対する強い依存だろうか。
別れ話が自分自身の人格を否定されたような気持ちになるのだろう。
そこからストーカー行為や嫌がらせ、復讐など、様々な方法で粘着する。
世の中に異性はごまんといて、世の中には娯楽がありふれているのにもかかわらずだ。
こういった人達は自分が変わることを極端に嫌がる。
その癖、人に変わることを強要する。
自分が変わらなくては世の中は変わらないというのにだ。
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「別れ話だと思ったよ。たしかにここのところ上手くいってなかったもんな。けど、1つだけ聞いていいか」
「何」
「その、隣りにいる人は誰だ」 
「知らない人」
「いや、なんで知らない人なんだよ。そこは友達とか、最悪の場合は次の恋人とかそういうのだろう」
「失礼します。私、こういうものでして」
「名刺?なに、別れ話立会人……、ぇつ、これが仕事」
「はい、仕事でこのようなことをやらせていただいております。昨今、痴情の縺れによるトラブルが多発しておりまして」
「いや、おれはそんなことしない」
「誰もがそうはいいますが、何があるかわかりません。けしてあなたのことを信用していないわけではありません。間に私がいることを意識さえしていただければそれで結構ですので」
「それでね、これから先、二人の関係について考えてて、やっぱり昔のように友達に戻れたらなって思うの。虫のいい話かもしれないけど」
「それはまだわからないよ。恋人として別れるんだから、昔のようになるなんて」
「うぅっ」
「な、泣くなよ、わかったよ。昔みたいに戻れるように努力するよ」
「では今回、正式にお二人は別れたということで、私が立会人としてお二方にはこちらに署名をお願いします」
「署名って、別に離婚するわけでもないのに」
「お願い、書いて」
「わかったよ書くよ。なんだよ、別れ話ってもっとこう淡い思い出になるんじゃないのかよ」
「ではたしかに受け取らせて頂きます。いわばこの書面は二人が別れたという証明及び今後問題を起こさないという契約書になりますので、今後間違いのないように」

「ってことがあったんだよ」
「なんだそりゃ、でも、まぁ、リベンジポルノとか問題になってるしな。そういうところに頼る女性がいてもおかしくはないよな。……まさか」
「いや、そんな事はしてない。別れた原因は単純に忙しくてお互いの時間を作れなかったからだと思うよ」
「そういうものかね。で、よりを戻すつもりは」
「立会人まで用意されてより戻そうとは思わないよ。ん?電話だ」
「もしもし、あ、はい、この間の、何か用ですか」
「誰?」
「いや、この間の別れ話立会人。はい、連絡先は彼女の方から聞いたと、そうですか、はぁ、それでなんです。この間の、はぁ、そうですか、少し考えさせてもらっていいですか」
「どうした、電話、なんだって」
「いや、なんでもこの間の契約を破棄したいって」
「どうするんだ」
「今度は俺が雇おうと思う」

美味しいご飯を食べます。