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短編『何も気にならなくなる薬』その176

遥か彼方

期待感

二階席

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BGMが薄暗い会場の中の期待感を膨らませていく。
開演時間が近づく。彼を見ることができるのだ。
一階の最前列、小さく見えるその頭の列は幸運の持ち主か、もしくはよっぽどの大金持ちだろう。

二階席をとれただけでも十分な幸運なのに、ここから見える景色は青い芝生だ。

音楽が止まる。
観客が一斉に息を飲む音が聞こえる。

暗転からのライトアップ。スモークが焚きつけられ、その中に一人の影が見える。
観客の中の一人が声をもらす。
その声が他の観客のタガを外す。そうして声が雪崩のように広がっていく。

遥か彼方でも彼はそこにいる。
彼がどれだけの人に愛されているのか、その会場にいる誰しもが実感をした。


ネズミのチューティーは私の友達だ。
夜、うなされる私の頬に寄り添ってくれて、僕はその夜、叫ぶことを止めた。
チューティーは何も言わない。けれども沈黙は金だ。
陰口を叩くかれらはニ等止まりだ。
私の仕事は工作をすることだ。それはすべて正義のためだ。
そう信じていた。
しかし、ある時から私は疑問を持つようになった。
私は誰よりも劣っている。そして、これは正しいことなのか。恋人に半ば別れを告げ、なし崩し的に仕事に取り掛かった。
同業者の言葉が侮蔑に聞こえる。
私は彼に掴みかかった。
彼はただ黙って私に殴られていた。
まるで私がじゃれつく犬のように。

ある時から私は少し先のことを考えるのが難しくなった。
眼の前のそれはできてもその先を考えることができない。
パンを食べる。
残ったものをどうするか。
チューティーに分け与える。
残ったものをどうするか。
保存をしよう。
何もかもがぎこちなかった。

目的が決まるまで私の身体は力を失っている。
目的が決まると私の体には薪が焚べられ、猫が飛びかかるように動けた。
しかし、これはあまり好きではない。
チューティーは猫が嫌いだ。
私がそれに似るのは嫌だ。

このダクトを開ければ通れるかもしれない。
私はダクトを開けにかかる。
「そんな小さな穴に人が通れるわけ無いだろう」
一人が毒づく。
殴りかかるわけもない。私は今、ダクトを開けている。
「チューティー、お前はここを通って、あの扉の鍵を探してきておくれ」
チューティーは黙ってダクトの中へ入って行った。
きっとあの扉を開ける鍵を見つけてきてくれるだろう。
私はうなされたまま目覚めた。チューティーはいない。
あるのは枕と乱れた毛布だ。

美味しいご飯を食べます。