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短編『何も気にならなくなる薬』その107

久々にピザのデリバリーを頼んだ。
「Lサイズを頼むとSサイズが二枚無料」
魅力的な話なのだが、二人でも食べ切れない。
結局残した分は今朝の朝食になった。
何もその日のうちに食べなくてはいけないわけではない。
二回、三回に分けて食べることを考えたら、そんなに高い買い物でもないかもしれない。
なにはともあれまた運動をしなくてはならない。
幸せには労働がつきものだ。

さて、今回は五題噺とはいかず、各テーマについてなんとなく書いていこうと思う。

「仏教徒」
日本人にはあまり宗教に固執するイメージがないのは私の主観だろう。
見渡してみれば普通にお寺、神社、お墓というものが当たり前のようにある。
以前、シェアハウスでの生活をしている時期があったが、そこでもあまり宗教の話にはならなかった。
性生活と比較するのは変な話だが、人に対してわざわざ話すことでもないのだろう。
自分がそれを信じていれば、それでいい。
本来、宗教というのはそういうものではないか。
しかし、どうにもこれを乱すような例はある。
学校の中で例えるならば、よくいう委員長タイプの人間。
あんなものは漫画や小説の中だけのように思えるが、ずけずけと自分の意見を押し通そうとする人間は確かにいる。
ましてや人の意見の反対をいう、もしくは何らかのケチをつける。他人の行動が自分の想像の域を越えると落ち着かない……いや、私もそっち側かもしれない。

「モトクロス」

モーターサイクルによるクロスカントリーのことだそうだ。
なんとなく想像はできるが、実物を見たことはない。
サーカスで球体の中を縦横無尽にぐるぐると走り続けるアレなら見たことがある。
アレのレース版といったところか。何にせよスリリングだ。
しかし、地球が丸いことを考えると、私達もなかなかスリリングな人生を送っていると言えないだろうか。

「影が薄い」
影が薄いというのは度々物語の要素として扱われることが多い。
しかし、本当に影が薄いのならば、おそらくは話にすら出てこないのだろう。
登場人物として扱われるのならば、十分に影がある。
誰かに関心を持たれればそれは十分に濃いだろう。

「ドラム式洗濯機」
ドラム式か、縦型か、よく議論に出る。
正直どちらでもいいような気がする。
洗い方の違いはあるが、洗濯をするというゴールは同じだ。
ドラム式は上から下へ叩きつけることで汚れを落とす。
川で洗濯物を叩きつけて洗う文化圏と同じ理屈だ。
新し目のコインランドリーはこの形式が多い。
私の感覚としてはしつこい汚れは落ちづらい。しかし、洗い上がりはふんわりしている気がする。
何でもそれぞれに適した方法があって、万能はない。
理解をして使いこなすのが最も賢い選択ではなかろうか。

「存在証明」

最後になんだか哲学っぽいテーマになってしまった。存在証明。要するに他人に認められる自分ではないだろうか?
他人に愛されたい、嫌われたくないという人は多い。
しかし、褒め手千人、悪口万人というくらいで、すべての人に愛されようというのは難しい話だ。
ましてや全ての人の期待に応えていれば、自己の価値などなくなってしまうだろう。
犬も嫌なことがあれば振り払う。酷ければ噛みつく。
人も一緒だ。嫌なものは嫌。どうしょうもない。
国のトップが叩かれる様を見てもわかることだ。
国と国が争うことを見てもそうだ。
完璧な理解、和解はありえない。どちらかが妥協をする。

存在証明?そんなことを考えている暇があったら美味しいものでも、美しいものでも、面白いことでも探しに行った方がずっとずっと有益だ。

嬉しいと感じる瞬間、確かにそこにいる。

美味しいご飯を食べます。