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加藤紗里が自分の教え子だとしたら

この人のことをどのぐらい知っているのかわからないけど、とりあえず私とは生きる世界が違うことは感じる。狩野英孝との交際から有名になったはずだが、特段この人の情報を進んで手に入れようとは思わないので、断片的なことしか知らない。

とりあえず、結婚相手にしろ、育児に協力する人にしろ、彼女の周りに人が集まるということは、何かしら魅力があるんだろうと思う。

私の周りに加藤紗里はいないけど、それっぽい人間には何人か心当たりがある。それも、強制的に関わらなければならない場合―自分の教え子だとすれば、どう接しようか。

さっき生きる世界が違う、と書いたが加藤紗里がすごいと思う部分、私と違う部分は下記のとおりである。

・報道によると、お金を持っているから結婚、持っていないから離婚したらしい

・アンチに屈しない折れない心

・どういう理由であれ、人が集まる謎の魅力

こう書いてみたところで、後ろの2つを見ると案外いいやつじゃないのかと思える。人が集まってくるというのは悪い人も寄ってくることもあるのだが、教え子・生徒の場合はこれは断ち切らなければならない。私も過去に一度半グレとつるんでいた教え子に介入したことがあった。

問題は1つめ、お金にまつわる考え方で、厄介といえば厄介である。他人様であればどうでもいいのだが、教え子ともなると多少は口を挟みたくなる。実際、お金があるかどうかは、けっこう大事だ。お金がないと何もできないこの資本主義社会、お金の問題は結婚・離婚に値する理由であるとは私も思う。

学校の大人は、お金で買えない価値、目に見えないものを提供しようとする。また、世の大人もお金以外の価値を色々な物に見出そうとする。結婚も具体例の1つだろう。かつて流行語になった絆という言葉も、具体例だろう。

結婚で言えば、お金を持っているから結婚する、というのはけっこう危ない。お金がなくなったら離婚する危なっかしさではなく、むしろお金を持っていることで相手の評価を見誤る可能性があるからだ。DV人間かもしれないし、とんでもなく節約家かもしれない。そういった、相手に対する評価は冷静にしろよ、ノリと勢いの結婚はどこかでしわ寄せが来るぞ、と声をかけるのが、今のところの私の考えである。

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