元首相殺害の犯人の「声」


7月8日の昼間に起きた惨劇。
正直、TwitterなりYouTubeなりで普通に人が撃たれて倒れる動画が蔓延する光景は、目に入りやすいうえに見ると気分が悪くなる
それは心の問題でもあるし、怖さもある。今現在ウクライナで起きている戦争にしてもそうだ。
その疲弊した己に付け入るように、言葉による誘導は巧みで操られやすい。人間はそもそも弱い生き物なのだ

個人的には今回の選挙はどんな結果になろうとも至極真っ当な民主主義のもとで行われたとは思っていない
今回の惨劇をもって弱い生き物である我々人間が影響されないわけがない。嫌がおうにも政治とはかけ離れた感情論によるものが大きいのは当然。
アンケート等で今回の一件に影響されたか否かを数値化したところで、そんな検証可能範囲の小さな出来事ではない
銃社会から遠い国であったはずの日本が、よもや数十年前の血気盛んかつ混沌とした時代に逆戻りしたなんてこと、自分は驚きしかない。


ただ、人間皆弱いということについては、今回の犯人にも言える。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20220710-OYT1T50061/

Twitter等では恨み辛み、罵声が飛び交っているが、
犯人がどういう生活をし、どういう苦悩をし、どういう怒りを覚えていたのかというのは、我々第三者には到底想像できるものではない。ましてや当人と直接やりとりしている警察でさえ想像難しいかもしれない。
これほどまでの事件を起こすほどの”何か”が、彼の中にはあったということであり(一応現段階では母親の宗教絡みであるとなっているが)、それが声なき暴力へとなった憎悪の証明の他ならない。
それを考えずに
「民主主義の否定」
「暴力に屈しない」
と啖呵をきり、犯人を攻撃することは、
彼が訴えたかった怒りや恨み等いち声を”無かったもの”として扱うのと同然だと思う
彼がその怒りを暴力ではなく、声や言葉で、果たして伝達できたのかという根本的な問題を見据えなければならない


今回の事件は、彼が最悪の暴力手段を選んでしまった時点で、この国には何かしらの問題があるはずということであり
個人的には政治家の皆さまには、その問題について真摯に向き合ってほしいと思っている。

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