「水星の魔女」考察と期待

2022年9月26日に地上波にて新しいガンダムシリーズ「水星の魔女」のプロローグが放送された。
本放送は10月2日から。
”学園もの”という触れ込みであったうえ、直前には「閃光のハサウェイ」という傑作映画も公開されていたので、正直見る気はさらさらなかったのだが・・・

「4歳の子供」
「タッチパネル」
というガンダムシリーズとしてもメタフィクション的な意味としても興味がそそられるキーワードが出てきていたので、いてもたってもいられずバンダイチャンネルの無料お試し期間で観てきた。

モビル"スーツ"としての再解釈

今作は宇宙という過酷な環境下で生き抜くために人間の体の一部を機械化するという設定がある。
実際、宇宙飛行士が帰還した際に複数人に抱えられながら出てくる光景をよく目にするが、これは宇宙という無重力下であることから、血流や筋肉の衰えが起きるからだという。
宇宙飛行士は、宇宙に滞在している間もトレーニングが欠かせない。

ガンダムにはこれまでそういった部分はほぼ描かれていなかった。
勿論、ガンダムの世界では重力を人為的に発生させる回転する巨大コロニーや艦に備わっている居住ブロックなどがあり、それほど長く無重力空間に居続けるわけではないというのも考えられるが、
あくまで重力があるところと無いところという生活基盤の違いからくる格差社会、差別を描くだけで、過酷な環境という部分に関してはそれほど力を入れていなかった。

今回の「水星の魔女」のプロローグで描かれたのは、本来なら描かれてもおかしくなかったガンダムの世界における宇宙という過酷な環境下を、身体機能を補助する機械が必要という形で描き、更にそこから、
その技術の延長線上に存在するのがモビルスーツということになっている。
もともとは人間の身体機能を補助するためのものだったものが兵器転用されることでモビルスーツという名前で巨大ロボットとなるというのは、原作である初代ガンダムの引用元である「宇宙の戦士」におけるパワードスーツの明瞭な解釈とも言える。

戦争における兵器の立場

先述した、人間が宇宙で生きていくための技術がモビルスーツに発展していった経緯から想像するのは、兵器と操縦者の一体化からなる兵器としての効率化。
エヴァンゲリオンのように巨大ロボットアニメにはよくある操縦精度の実現と引き換えに操縦者に負荷がかかるという設定は「水星の魔女」にも存在しているが、今回の場合はもともと人間の身体機能を補助するものであったという前提があるため、その発展形として兵器転用された形という流れは極自然なもののように見える。
しかもプロローグ終盤では、操縦者に負荷を掛けてようやく兵器として機能するモビルスーツ(ガンダム)を戦争状況下では相応しいものではないとする主張によって主人公たちが携わる研究施設が制圧される悲劇を描いている。

戦争に勝つ負けるの関係のない場所で搭乗者の命が危ぶまれるガンダムは、戦争の枠組みの中では兵器にも満たない存在であるとされるのは当然といえば当然だが、結局はそれを理由に血を流すことになるという本末転倒な事態になってしまっている

人間というバッテリー

プロローグ冒頭、ガンダムルブリスの起動実験らしきシーンから始まる。
その際「レイヤー」という言葉を用いる形で起動の成否を表現している。
レイヤー毎になにかしらの認証をし、それが通れば次のレイヤーと進むという設定になっており、主人公の母親はレイヤー32から33へ移行することができないでいる。
デジタルイラストを描いたことがある人なら馴染み深いレイヤーは、透過処理等で複数枚のレイヤーを重ねて一枚の作品を作るためのものであり、
今回その言葉が用いられていることやガンダムの起動には搭乗者の生体認証が必要であること等の設定を加味すると、
レイヤーを重ねていった先、搭乗者とガンダムが文字通り一心同体の存在になること意味していると考えられる
兵器としてのガンダムが人間(搭乗者)と一心同体になったとき、
それまで人間の身体を補助するものに過ぎなかったものが、兵器としての身体を補助するための人間という構図の逆転が起きる

プロローグ中盤に主人公の母親の右手が義手であることが描かれる。
蠟燭をもった右手の義手が突然力なくへたりこんでしまい、仕方ないなと言わんばかりに母親は義手を外して中にあるバッテリーらしきものを交換する。
ここでの義手は人間の一部として描かれており、バッテリーは義手を動かすために必要不可欠なもの。
しかし同じ技術でもあるガンダムの場合、搭乗者である人間は兵器であるガンダムにとって身体の一部ではなく動かすための要素。すなわちバッテリーそのものに過ぎない
母親が右手の義手に持った蝋燭がついに立てられなかった描写をして、母親は搭乗者にはなれないことを暗示していた言える。
終盤にはバッテリー切れの義手という描写を、出撃した父親がついに体現してしまう。

ガンダムルブリスを起動させた要素

今まで起動できなかったガンダムルブリスが起動するきっかけとなったのが、4歳の主人公。
指定した敵機体3機を撃墜し「ろうそくみたい」と言って喜んだ彼女の生体認証がガンダムルブリスを起動させた、つまりレイヤー33以降を突破したと言える。
直前にはガンダムルブリスを自分の妹のように例える様子もあり、先述した要素を繋ぎ合わせてみると、
3機撃墜したあのときはガンダムルブリス自身が乗り移ったような状態、あるいはそういう表現であった可能性がある

それまで起動できなかったガンダムルブリスが4歳児の生体認証で何故できるようになったのか理由について考えられるのは、主人公の母親がまともな大人の人間だったからというのが考えられる
終盤に語られた兵器としてのモビルスーツ。戦争の道具としてのモビルスーツという話の中で、兵士でも戦士でもない、いち母親に過ぎない人間が果たしてガンダムを兵器として認識することができたのかどうか
銃を持てば引き金を引きたがるというのが人間とはよく言ったもので、ガンダムという強大な力を手にしてもなお、己の力に恐怖し躊躇うという、ある意味戦争では全く役に立たない人間だったから母親は起動できなかったと。
(事実として戦闘行為に及んだ際、母親は自らを襲いに来た敵機が娘によって破壊された光景に驚き、戸惑っていた)

一方で4歳児となると大人の倫理観等は通用しない。
引き金を引く指は軽く、大人ほど状況を理解できるわけでも当然ない。
そんな純粋無垢な存在、裏を返せば人の生き死に関して無感情・無関心・無自覚・無責任に近しい存在。戦争状態に適した人間としてガンダムルブリスの乗り手として起動に成功した可能性がある
当然ながら本編が始まって彼女の正体が旧作おなじみの強化人間だったという可能性もなきにしもあらずだが、いずれにしてもそこには戦争という状況に適した存在という部分が共通する。

今後予想される展開と期待(?)

学園ものだと聞いていたのに、観たらハードなSFもので凄い興味をそそられた。
今週末から本放送が始まるが、気を付けなくてはならないのはこの作品、あくまで”学園もの”なので、こういうプロローグのようなシリアスなものはこれ以上無い可能性がある。

今後の展開としては、主人公は学園生活をおくるうえでガンダムに乗らざる得ないという状況に遭うのは当然ながらあるはず。
しかし先述した設定がもし正しければ、「魔女」と恐れられるように、主人公は常人とは線を引いた冷たい人間として描かれ、
それが故にガンダムに乗れるという展開になるかもしれない。
一方で仲間との触れ合いで次第に人間性を取り戻していき、最終的には心を通じ合えるようになるが、同時にガンダムにも乗れなくなってさぁ大変・・・みたいなことになりそうな気がする。


どちらにしても今回のプロローグでだいぶ惹かれたので、
久しぶりに地上波週一アニメを観ることにしようそうしよう。
(もしかしたら勢いでガンプラも買かっちゃうかもしれないな・・・)

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