待てなかった書き手と待ち続ける手紙

再会の放棄こそが投壜通信に授けられた定めなのだとしたら

大海を渡っていくときに偶然の塩をその身に纏いはしないだろう

偶然の塩で真っ白な壜に生まれ変わったとき

極地の凍てつく海では薔薇色の雪が降る

血の色ではないのだ

血の色に染まることを望んでいるのは

投壜通信に見放されたときに陥る大海の悲しみ


紺碧の海水に触れるとき、薔薇色の雪は海中に没する

空色の氷塊に触れるとき、薔薇色の雪は氷の表面で消滅する

大海を彷徨い漂う純白の壜に触れたときだけ

薔薇のかたちを描き出すまで残存することを許される

偶然の塩だけが出会いから別れまでの時間を

留めておくために、腐食を免れるために

唯一、運命から必要とされている衣なのだ

けれでも、人は塩の衣を脱ぎ捨てることができなくて

次第に運命を信じられなくなる


塩で覆われた壜の中の手紙は君に届けるためではなくて

待つことに宛てられている

待てなかった手紙の書き手が如何に身悶えするほど苦しみ抜いて

氷原でただひとり跪き、両手をついたとしても

手のひらが氷の乾いた冷たさで火傷を負ってもなお

手紙はただひたすら待ち続けている


あのとき、こう言っておくべきだったのだ

いつまでも君を待っていると

たとえ、十年、二十年の歳月を経ようとも

たとえ、再会の時が永遠に訪れようとしなくても

待ち続けることが愛の証明になるはずだったのだから

それなのに決定的な破局を迎えれば、楽になれる

ふうっと息をつくように思い出が消えていき、楽になれる

愛のない清々しい空気が肺いっぱいに取り込まれ、楽になれる

そうした誘惑に抗えなかった

待つことに耐えられなかった結果がこの様だ


脇腹に刺さった薔薇がいつまでも抜けないんだ

棘が肉の奥深くに引っかかって、力の限りを尽くしても

とめどもなく流れ出す血を気にしなくても

神経を震え上がらせる激痛に涙ひとつ流さなくても

抜けないんだ、薔薇そのものの執着である幸福が


生誕の奇跡とは案外こうしたものかもしれない

生まれ育っていく過程で死の棘を抜くことができなくなる


君は事の始めから僕を人とは見做していなかった

君が望む通りに僕は人ではなくなっていった

それが僕の望みでもあったのかと思うと

やり切れなさに隠微な陶酔を見出すことになる


いつまでも待っていれば

待っていることを手放すべきではなかったのに

待つことをやめなければ、きっと……

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