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岩波少年文庫を全部読む。(33)シリーズ完結! ドリトル先生は聖フランチェスコかブラウン神父か? ヒュー・ロフティング『ドリトル先生の楽しい家』

(初出「シミルボン」2021年5月13日

デビュー作『アフリカゆき』のサイドストーリーも

 歿後刊行の『ドリトル先生と緑のカナリア』に続くシリーズ第12弾にして完結篇、唯一の短篇集です。

 冒頭に作者の夫人ジョセフィン・ロフティングの序文「はじめに」と、編者である作者の助手オルガ・マイケル(ドイツ系カナダ人の振付師。ジョセフィン夫人の妹)による「ドリトル先生とその家族」が収録されています。

 全8篇中第6篇「あおむねツバメ」は、ジョリギンキ王国を出発したあとの一行を追ったもの。つまり第1作『ドリトル先生アフリカゆき』のサイドストーリーです。

 ここで先生は、鳥たちと協力してガンビア・グーグーの国を虫害による滅亡から救い、鳥の乱獲をやめるように人びとに演説します。すると、

「新しい女」になろうとしたグーグー人のおかみさんたちは、みんな立ち上がって、声をそろえて叫びました。
「わかりました! わかりました!」〔226-227頁〕

 「新しい女」は19世紀末からのフェミニズムで、肯定的にも否定的にも言われた表象です。『キャラバン』に出てきたピピネラはフェミニズム的自己実現を目指すのでしたね。ただロフティングの文章は、フェミニズムの肯定的評価のみならず否定的評価をも含んでいます。

ピピネラは、強い意志をもった女として生きてゆく。彼女は歌い手として成功するが、しかし、ついにカナリアの伴侶を得ず、人間の男(窓ふき屋)に一生恋い焦がれるというのも、作者の〝新しい女〟に対する皮肉な眼差しを感じさせて、面白い。〔南條竹則『ドリトル先生の世界』(2000/2011)国書刊行会、123頁〕

長篇に組みこまれなかった挿話群

 それ以外の7篇は、第5作『ドリトル先生の動物園』(1925)、第6作『ドリトル先生のキャラバン』(1926)、第7作『ドリトル先生と月からの使い』(1927)のどれかに収録するつもりでボツにしたり、改変されたりしたものとみてよいかと思います。

 最終篇「迷子の男の子」は『ドリトル先生のキャラバン』のサイドストーリー。

 話の中心となる迷子の少年は先生についてこのように言います。

ぼくは、おじさんが、鳥と話をしているのを見たときね、聖フランシスみたいだから、なんだかおじさんはおもしろそうな人だと思ってたんだ。〔『楽しい家』300頁〕

 聖フランシスことアッシジの聖フランチェスコ(1182-1226)には鳥をはじめ多種の動物たちと話をしたという伝説があり、修道会(フランシスコ会)では無一物を標榜しました。

 ドリトル先生もまた動物たちと会話し、やはり蓄財に興味を持ちませんでした。

先生はお金を稼ぐと貯金箱の中に入れておき、入用になると、そのつど出して使う。家計簿などはむろんつけない。だから、気がついてみると一ペニーもなかったりする。〔『ドリトル先生の世界』36-37頁〕

無一物の聖者と神父探偵

 『ドリトル先生の郵便局』でも、先生は現金化すれば一生お金に困らないという真珠をもらうのですが、それを燕に持たせて遠くの国の農夫に届けさせるのです。

 先生はこのように聖フランチェスコに似ているとされているのですが、いっぽうで作者自身の挿画から、チェスタトンが生み出した聖職者探偵ブラウン神父に似ている、という有益な補助線を引いてくれた人がいます。小説家の金井美恵子です。

ドリトル先生は丸い鼻のチビの小ぶとりで、いわば、あの、多少キザな逆説をあやつるブラウン神父から、哲学的逆説と反共的お説教をのぞいたような人物なのである。〔「『ドリトル先生アフリカゆき』」(1986)『ページをめくる指 絵本の世界の魅力』増補版所収、平凡社ライブラリー、234頁〕

 聖フランチェスコとブラウン神父の共通点は言うまでもなくカトリックの聖職者であるということですが、そもそもプラウン神父の生みの親チェスタトンはブラウン神父シリーズを発表しているさいちゅうに英国教会からカトリックに改宗し、翌1923年に評伝『久遠の聖者 アッシジの聖フランチェスコ』を刊行しています(生地竹郎訳、春秋社《G・K・チェスタトン著作集》第6巻)。

 名探偵といえば『ドリトル先生の動物園』に登場した探偵犬クリングが活躍するミステリ短篇「気絶した男」も本書に収録されています。本シリーズの大半が英米謎解き探偵小説の黄金期である大戦間1920年代の発表であることを思うと、なるほどという感じですね。

 なお本シリーズには本書未収録の短篇「ドリトル先生、パリでロンドンっ子と出会う」(1925)があり、河合祥一郎による本書の新訳『ドリトル先生の最後の冒険』(角川つばさ文庫)に特別篇として併録されています。

Hugh Lofting, Doctor Dolittle's Puddleby Adventures (1927)
挿画もヒュー・ロフティング。オルガ・マイケル補訂。ジョセフィン・ロフティング序、井伏鱒二訳。巻末に角野栄子「へんしーん!」(2000年秋)を附す。後年の版では岩波書店編集部「読者のみなさまへ」(2002年1月)が加わる。
収録作 : 船乗り犬/ぶち/犬の救急車/気絶した男/カンムリサケビドリ/あおむねツバメ/虫ものがたり/迷子の男の子
1979年10月23日刊、2000年11月17日新装版。
ヒュー・ロフティング、井伏鱒二については『ドリトル先生アフリカゆき』(https://shimirubon.jp/reviews/1703713)評末尾を参照。

オルガ・マイケル 1902年オンタリオ州キッチナーのドイツ系家庭に生まれ、トロントでダンスを学んだのち渡米、デトロイトで舞踏家・ダンス教師として活躍。義兄ヒュー・ロフティングの助手も努め、その死後に本書を完成させ、またドリトル先生ものを劇化する。ロサンゼルスでダンススクールを開く。1997年歿。

角野栄子 1935年東京生まれ。早稲田大学教育学部英語英文学科で龍口直太郎に師事。卒業後、紀伊國屋書店出版部勤務を経て結婚、一時期ブラジルに滞在。『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』(ポプラ社)でデビュー。『おおどろぼうブラブラ氏』(講談社)で産経児童出版文化賞大賞、『ズボン船長さんの話』(福音館文庫)で旺文社児童文学賞、同書および『わたしのママはしずかさん』(偕成社文庫)で路傍の石文学賞、『おはいんなさいえりまきに』(金の星社)で産経児童出版文化賞、娘(のちの童話作家くぼしまりお)が描いたイラストに触発された『魔女の宅急便』(福音館文庫)で小学館文学賞、野間児童文芸賞、IBBYオナーリスト文学賞、『トンネルの森1945』(メディアファクトリー)で産経児童出版文化賞ニッポン放送賞、他に紫綬褒章、巖谷小波文芸賞、旭日小綬章、国際アンデルセン賞作家賞。訳書に《ブルーナのおはなし文庫》シリーズ(講談社)など。

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