母乳育児とミルク育児

ちょっとここで言ってみたいことがあります。

私は二人の子どもを『完ミ』で育てました&育てています

「完ミ」は「完全ミルク」の略で、母乳ではなく哺乳瓶でミルクを調乳してベビーに飲ませることを指しております。

現在、第二子育休中ですが、この第一子の授乳期中は「完ミ」であると誰かに話すことは勇気がいることでした。

なぜなら「母乳神話」によって自分自身は「母親失格」だと葛藤した経験があるからです。

先日、高橋真麻さんが「卒乳」というタイトルでブログを投稿され、
ミルク育児や母乳神話について描かれていらっしゃいました。

このブログに勇気づけられた一人として、母乳育児とミルク育児について触れてみようと思います。​


▼ミルク育児を始めたきっかけと母としての葛藤

赤ちゃんとママをイメージすると、その一つの姿として思い浮かべるのは「母乳を飲ませているママ・飲んでいる赤ちゃんの姿」があると思います。
私自身も子供が生まれたら、自然と「おっぱいをあげる」ものなんだと疑っていませんでした。

しかし、第一子出産後、母乳の出が悪く、搾乳機を使ってみたり、いくつかのマッサージに通ってみたり、母乳の出がいいと言われるものは食べ物でも飲み物でもありとあらゆるものを試しました。
それでもなかなか思うようにはいかず、頭の中は「母乳」でいっぱいでした。

そのような中でも側にはお腹が空いたと泣く我が子。

毎日の成長とともに、飲む量は増えていくのにもかかわらず、
私の胸はおっぱいを製造しません。

いつまで経っても「母」になれていないような気さえしていました。

それに輪をかけて、私の母が自身が出産したときは母乳がいっぱいでたと語り始める始末。(母は悪気もなく、いろんなサポートをしてくれていたので腹は立ちませんでしたが、ちょっと落ち込みました)

そんな私はだんだんと、私の胸は母乳は出ないタイプなんだ!
それでもミルクがあるじゃないか!
簡単に手に入り、栄養満点のミルクが!!!
ミルクメーカーさんに感謝してこれで大きくなるんだぞ、我が子よ!
と、出ない母乳に時間を費やすことをやめました。

そう切り替えた大きな要因は、目の前の子どもがミルク育児でもスクスクと大きくなってくれている姿を、毎日見ることができていたからだと思います。


▼ミルク育児の第二の試練

生後1ヶ月ほどで、母乳との格闘から卒業した私。子どもはここで卒乳となりました。しかし、おっぱいを吸う行為は好きだったようなので、天然おしゃぶりとして寝かしつけに活用していました。

そんな中、子どもが徐々に成長し外出も増えてきたころ、ミルクの調乳のため授乳室を訪れました。当然ながら子どもに母乳を与えているママたちがそこにいて、私一人、バックから哺乳瓶を取り出してせっせと調乳をしていました。

私にはその姿を見られるのが、嫌で嫌で仕方がありませんでした。
これが私の第二の試練。

この時の心境は、誰かにどう思われるかというよりも、「母」失格の行為をしているような、あたかも悪いことをしているような感覚に襲われていたように思います。

その後しばらくして、ママと子どもたちが集まる場で、他にもミルク育児をしているお母さん数人と出会い、その姿を見てだんだんと悩まなくていいと吹っ切ることができました。


▼ミルク育児は母親失格なのか?

そもそも、このミルク育児への葛藤は誰かに何かを言われたわけでも、ルール違反をしたわけでもなんでもなく、自分自身の心の中で起こった葛藤でした。

夫や家族はミルク育児をスムーズに理解し、積極的に調乳し授乳してくれました。

でも、当時はどこかで子どもに大して「母乳が出なくてごめんね」と思い、「(家族以外)誰にも言えない」と思う自分がいました。

そもそも、この葛藤はどうして生まれたのでしょうか。

きっと母乳神話や母乳を飲ませる母のイメージなどから、自分の中で気づかないうちに蓄積されていった「母親失格」という負の感情から生まれたのだと思います。

▼愛情に差はない、だから自信を持って母になろう

子どもへの愛情は毎日溢れ出るほどでした。
子どもの顔を眺め、抱きしめ、話しかけ、幸せを感じる時間でした。

母乳育児とミルク育児を比べてどちらが子どもにとって良いのか、いろんな議論があるのかもしれませんが、うちの二人の子どもはスクスクと笑顔いっぱいに育ってくれています。
(むしろ、平均体重&身長より上を推移)

だから、自信を持って母となり、子どもたちと一緒に成長したいと考えています。

▼今だから思うこと

第一子出産後の当時、気軽に外出ができましたが、2020年は子どもと一緒にお出かけすること、ましてや第一子であればあるほど、ハードルが高い日々が続いているのかもしれません。

私は出かけた先で、自分と同じようにミルクを調乳するママを見て、「一緒だ、私だけじゃない」と思えたことが、切替のきっかけとなりました。

ただこういう場面が少ないと、切替に時間がかかるかもしれません。

育児や子育てにおいて、「こんなことを思う・悩む母親は私だけかも」
「こんなことができないのは我が子だけかも」と思うシーンは少なくないかもしれません。

そう思った時、自然と誰かと比較している自分もいるかもしれません。

同じ状況を見たときに安心する自分がいるかもしれません。

これらの比較や悩みを通過することはきっと悪いことではないし、
経験値を積み上げるタスクの一つになっていくことだと思います。

だからこそ、自分以外の誰かや何かを見つけるきっかけになる外出は、
とても大事なんだと思います。

子育て中の人にとって、楽な一年ではなかったですが、
「完ミがここにもいるよー」と叫ぶことが、誰かに届けば嬉しいと思い、
今日はnoteを書いてみました。

今日の自分に頑張ったねっといって、ベットに入ろうと思います。
おやすみなさい。

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