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大災害に際して、鳥の目と虫の目と。

どもども。青木です。

今年も3.11がやってきました。
funky jumpの本拠地を決めるにあたって最後に決め手となったのが3.11です。私の心の中に、「震災のときに役に立てなかった」という想いがありました。

コロナウィルスに端を発する社会不安は未だ鎮静の様子を見せず、経営危機に陥る会社や飲食店などが出ています。そういった組織の先にいるのは人です。

東日本大震災で最も衝撃的だったこと、きっと思い返すときの関心事で変わるものなのでしょうけれど、やはりああいった大災害の時に出てくる人の本性といいますか。マズローの欲求段階説は正しいのかもしれないと思わせるような、「生理的欲求・安全の欲求が満たされていないときに人が他人に優しくするのは難しい」ということでした。

私のいた避難所は仙台市でも内陸部にあったため津波の被害はまったくなく、当日の夜はキャンプのような非日常感と寒さに凍えて過ごしました。翌日河北新報で荒浜に押し寄せた津波、燃える気仙沼のコンビナートの写真を見て驚愕しました。しかしそれも何十キロも離れた場所の話。目下の問題は避難所をどう運営していくかです。私は避難所の運営ボランティアとして学校の先生たちと、群馬から遊びに来ていた同級生と共に活動することになります。

当時避難していた三条中学校。このエリアは学生・外国人が多く、古い公団住宅もありました。指定避難場所だったために多くの人が体育館に集まりましたが近隣の公団住宅では住人の高齢化が進み、避難所まで来られない人が多くいました。震災時にはこういった即席避難所ができてしまい、仙台市が物資輸送ルートを引き直すのに時間がかかったといいます。

食料の備蓄は自治会の会員数を元に算出しているとのことで、あまり余裕はありませんでした。学生や外国人は自治会に入りませんからね。それに加えて公団住宅からも分けて欲しいという申し出。運営会議では本当に「自治会費用を支払っていない人に出す食べ物はないかもしれない」という議論が沸き起こりました(すぐNoだという結論は出ましたが)。

最初は量を絞ってご飯を出すことにしました。珍しいアルファ米も出された翌日には飽きがきます。それくらいになると避難所もピリピリし始めます。

「あそこのストーブを中国人が占拠しているんだ」というおじさんには「あちらは日本人が占拠しているので入れてもらってはいかがでしょうか?」とご案内。
セブンイレブンから乳製品の差し入れがあったので子どもたちに配っているところを、LEDライトを眼に向かってあてられ「お前達はこれくらいしないとわからないんだ」と不安を我々にぶつけるお父さんと「なんてこと言うの!」と怒るお母さん。
お米も残り少なくなってきて、翌日には「成人男性は1日1食」という案内をしようかと考えていた矢先に道端に捨てられていたアルファ米。
救援のレンジャーが来たかと思ったら難破した船の乗組員(しかもタガログ語しか話せない…!)。
血相を変えて自分の娘を探しに青森からやってきたお父さん。
「ない、ないと言って本当はお前たちが食べる分は隠してあるんだろう!」とボランティアに詰め寄るおじさん。(たまたまおじさんが多くなっちゃってます…)

あの時避難所は不安でいっぱいだったのです。幸い、本当に幸いにも数日で山形・新潟からのバナナが届きました。あの安心感といったらなかったです。避難所に蔓延していた不安がかき消され、「私達は見捨てられていない」という気持ちに満たされたのですから。

その後もいろんなことがありました。
震災後に生きる意味を見失って気がふれ、意味もわからず犯罪行為に走った人がいると聞きました。
保険が降りない経営者達は事業を立て直そうと走り回っているという話を政治家から聞いている車の中から、沿岸部のパチンコ屋に入っていく自転車のおじさんが。保険金が降りている上、仕事がないのでヒマだから、ということでした。

一方で多くの方々から情報提供をしてもらったり、ヤシマ作戦として節電いただいたり、本当に心強かったです。「見捨てられていない」ということがこんなにも心を支えるものかと思った日々でもありました。

災害住宅に入ったのに、地域コミュニティと分断されてしまって亡くなった方もいます。この中に、私が被災地でボランティアしていた際に起きた、周りの人と馴染めずに自殺してしまった方は入っているのだろうか。

さて、先日私がチームメンバーに対し、funky jumpのビジョンの一案として「明日社会が崩壊しても仲良く皆で乗り越えた人類史を作る」という話がとっさに出ました。今思えば震災の記憶があったのかもしれません。あの日確かに、日常の社会が崩れかかっていたのです。
当時の仙台市長、奥山市長は「仙台市の備蓄を全て放出しなさい、数が足りない?そんなこと言っている場合ではない」と指示を出されたそうです。ですが市民からは不満が出ました。シュークリームの数が足りず、避難所によっては出なかったのです。

鳥の目で物事を見るのは政府や大企業の仕事です(おにぎりを沿岸部に配った会社もありましたね)。ですが虫の目で周囲と不安を分かち合いながら、協力しながら困難に立ち向かうのは私達自身です。誰かの不幸が起きたときにあざ笑うのではなく、誰かが先に得をしたときに「私はあとでいいですよ」といえるだけの余裕を持てるように。人と人との安心できる繋がりが大切だと思うのです。当たり前のように明日が来る日々に感謝を。そして何が起こっても切り抜けられる繋がりのちからを。

コロナにも負けないで、皆で頑張りましょう。

※本日のトップ画は平和の象徴、眠り猫です。

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