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エッセイ(2010-2016)

「遊びの王さま」作:ちねんだいち


ある学校に遊びの王さまがいた

王さまは遊ぶのが得意だった

でもだれも遊びの王さまがどこから来ているのかを知らなかった。


ある夕方、学校が終わると、子どもたちはこっそりと王さまの後をつけた。

王さまがこの世界のものではないと大人たちがウワサをしていたから。


王さまは街を抜けて、小道をひとり歩いていった

山に入る入り口で 王さまはふりかえり 僕らにニタ~っと笑ってみせた


沈みゆく太陽にてらされ、きらきらひかる樹々や空、王さまのまわりには鳥や虫たちがやってきた。


王さまは ふっと 消えた


その瞬間、樹々や空、鳥や虫、ケモノたちが生き生きと軋んだ


王さまは森だったのだ


翌日から王さまは学校に来なくなった。

子どもたちはさびしかった。


けれど前より、子どもたちは風に耳をすますようになった

土を見るようになった

樹にさわるようになった

子どもたちはその時、王さまと遊んでいる気持ちになった


思えば、王さまの周りには、仲間はずれがいなかった

思えば、王さまはいつも走り回ってくだらないことをしていた

思えば、王さまに話しかけられない子なんていなかった

思えば、王さまは大人のくだらない話の時、いつも僕らの見方だった


思えば、王さまは、遊んでいるようで

僕らの為に生きていたのだ

僕らはそれを知っていた。


遊びの王さま

きみにまた僕は

会いたいよ~う

2016.12.22



「少年の飛行帽子」

私 は毎日毎日、遊んでいた。

走る車から、走る電車から、私はいつも窓の外に、ひとりの人間をみた。

身体がグニャグニャになりながら、私と並走する白い欠片。

電柱に激突し、倒れ、また 立ち上がり、赤信号で止まる私を背に、追いつかれるであろう未来へ向かい、全速力で走り去る相棒。それが私の、たった1人の友だちだった。

紅 葉実る午後、私は口足らずの鼻を垂らして、掴みかけていた青春を、誰かに宝物のように見せたことがある。

コンクリート打ちっぱなしの地下で。

ただ、認めて ほしかった。威張りたいわけじゃなかった。

下校途中の太陽が、坂道に寝そべっ て、真っ赤なランドセルのあの子を空に焼き付けている…。ボンボンと花火の音が暗闇に咲く。

その膨らみを誰に頼まれたわけでもなく、こころの雑巾で拭っ た。

日だまりの公園にいた、誰も手をかけない手すりを、知っている。

パズルピースのようなニスのくぼみと指、青と白の体育着に声が入る夢。

赤い胸の校章が好きだった。

横に走る登り棒と面影がさするバスケットコート。煮詰まった張板と隅っこの音たちの遠出。。。

僕は他人の不運を願い、烙印を押 される仲間を見ては、いつも、いつも戸惑っていた。

バーン!とはじまったステージの上、一番遠くから私を見た教師はその時、人だった。私はいつも、一人 だった。

実験で作ったサ ラダ菜を宝石のように噛み、敗北に頭突きをかまし、膨れた目玉をあの子に見せびらかしては、動揺ばかりをポケットに入れていた。

嘘をつき、嘘をつき、バッタリといつも寂しさにぶつかった。

楽しさは駆け出すと、必ず切なさにぶつかった。

消しゴムを投げつけ、最後まで皆で無視した、綺 麗で真っ直ぐなよく泣く先生が、みんなみんな好きだった。

誰もいないアパートで流し台によじのぼり、西日をからだに塗りたくっては、アンパンマン歯磨き粉 を食べていた。

「自由時間」が嫌いだった私は、常に誰かに強制的に縛られたいと寂しがりながら、寂しくない演技をし、ただ傘をぶん回していた。

雨上がりの 帰り道には、決まって傘を忘れた。その純朴だけが校舎を七色に染めていた。

雨日は決まって傘先を、壁や車の下や空に向けるから、いつも濡れていた。

空をく りぬいたようなベランダ。室外機の脇、海がそこにあって、悲しみもそこに あった。

私はガラスに鼻を押し当て、この世界と全身で闘っていた。

久しぶりに、母とキャッチボールをしたことがあった。何球かとれなかった私は、母とは 違った方角にボールを投げ、「とれないじゃないか」と言った。

母はグローブを置いて立ち去った。

あの時、私は、自分を裂いていた。

立ち入り禁止の柵内、高 い所から高い所へ飛ぶ遊びを、飽きるまでした。肉を割いて骨が見えるイメージ、それだけを何百枚もあたりに投げた。

ぼんやり繋がれたように、急いで忘れ物 を取りに帰るように、あの子の団地の入り口を、心からかすめた。

赤土校庭の隅で、キーコキーコと剥げた遊具をつまんでは離し、水滴を手のひらでゆっくり ゆっくり払った。

テカテカの銀の袋に入った小さな菓子が食べたかった。遊ぼうと嘘をついては、お菓子だけが食べたかった。

誰かもわからぬからっぽを従え、 私はただ、いつも幻想を見ていた。

退屈を噛んで噛んで忘れてしまった気配を山羊が眺めている。

虫たちが一面すべてを掻き回し て、呼ぶ。

私は珈琲を呑んだ。私は、悔しかった。

眩しい景色はいつも舌足らずで、どんだけ悔いても悔いても、何を悔いているかを忘れるような、そんな阿呆で情けなかった。

でも阿呆を私は密かに、大々と、愛しているのだと思った。

空間に地面が落っこちて、トントンとボールのように、はねた。

私はトンネルの中、向こう側に張り 付いた秋にまみれた子どもたちのやさしさを、肉肌に刻みこみ、刷り込んだ。

スネのよこが砂利で擦れ、膿が真っ白く浮き上がり、ソックスに口を寄せる。

私は たいせつな肌を剥がすように、君と明日への隙間を覗き見し、また覗いては隠れした。

マンホールのくぼみに溜まった濡れた髪の毛。しっとりとヒンヤリ、冬が 来てるんだぜ。別れの季節がいつも僕 に夢を見せた。

デッサンは一人でに夜の繁華街を歩いて、ハーモニカを吹きながら真っ黒い空を食べ続ける。

そうだ、地球の果てまで行くと、いつだって、虫とか膝と か、そんなものしかいない。私は、思いっきり、悲しくなる。

夕暮れとか朝焼けとか珈琲とか、馬鹿とか、何だっていいんだよ。みんな、さびしいんだ。

寂しさを、抱えて抱えて、寂しい人は、優しい。

路上藝人は、冷たい氷水のよう に、寂しさを抱いていく。だから、冷たい優しさを抱いているよ。本物は。

肋骨の下あたり、そこに青春があって、ユラユラ踊って い るのがわかりますか。

夜、雨上がりの 真っ黒に光るアスファルトの上に、ビー玉を置く。

街灯にてらされた少し、変わった景色を眺めていた。両眉の上あたり、輪郭のないお母さんがいて。透明 な、人型の袋だ。でも、なんか違う。

ひたいにスッと人差し指でもつけられたような気になって、私もう一度、今度は、小さく、「おかあさぁん」って思った。私は、私をいつ鉄格子に入れたのか。

真っ赤な暗がりが吹き出した、熱のねじれ、ぼく。

何度も美しい瞬間が重なると、ふくれてはじけて雪になる。すると、コタ ツの中にいた、寂しさたちが「たいくつだね、たいくつだね」ってうずくんだ。

私が一番、恥ずかしいのは、自分です。

つ まずいて、やっと一秒になる。

死んだ時間から落っこちる為、その為だけにず~と、塗っている。何かを。何か に。 何でもいいと言った具合に。

鏡を見たって鏡の裏側が映らないでしょ。

喪服のタグ、もう一方のドレス、新しい 靴紐と履きならした靴の恥じらい。忘れられた温かい弁当。走り去るバスに投げ込まれた一生咲く花。地球に腰掛けて、草だっ て恋をする。

だからいいんですよ、と慰めても、どうもやりきれないから私はまた足の毛、手の毛、へその毛、耳の下の太い髪の毛なんかを抜くのかな。 一人で。便所の中、風呂場の中。

芸術とか生活と思いながら。

私は欲深いですよ。

宝物があれば、誰にも渡し ま せんよ。好きな人だけです。そういう寂しさってやつを、暴力が優しい顔して、バシバシ紐解いていくでしょ。

私は丁寧に、右左曲がりながら結局、爪 いじっちゃって、その間に、とられちゃって。気づいているのだけど手元が気になるフリしてね。

はみ出したそれを、しこたま殴って消した。ずっとずっ と、無視。絶望を、遠くの空、市営グランドの網の隙間からすくってまた傷口に染み込ませる。

いろんなキスが、痛くって。グルグルほおった縄を巻き取りながら、やっぱりあの人とあの人(好きな人)の、そう、肩と肩に掛かった橋を、蟻が落っこちる一瞬を、恋とよび、待ち 構えてる。それはあかね色だ。

鎖骨の端っこから背中の、羽根が生えていたらしいくぼみにかけて、斜めに走る直線は、日が沈む間際、紫色に染ま る 秩父の山並みを呟く。

もう二度と来ないでほしいと叫びながら、私はおおきなおおきな、眩しいやさしさに向かって、やっぱり会いたいという。

いのちの 秤は触れるたび、今日を厚くして答えている。ひなたぼっこと押し入れの影で、私は、小さな願いを持っていた。

ある日、 それを描いてみた。叫ぶような何かの重さにぐりぐり押されながら、散らばった棒っ切れで、  あたりを気にしながら  。



2015.11




「ある日の憂鬱」


義足ランナーを見た

世界陸上。

みんな感動するのかな

俺はしなかった


違和感


TVも新聞もニュースも。


走る前のストレッチから横の人そっちのけでカメラ5台くらいが取り囲む

同じ汗流して苦労してきた人間なのに。

となりの黒人が勝ったら悪いようじゃないか。

僕はその黒人に同情してしまう


義足ランナーの話だけど、僕は報道に問題があると思う

あのTV報道の感動を誘発しようという狙いに、臭いに、僕は悲しい事にまず、その義足ランナーを拒絶してしまう


スタート前のランナー、皆の顔をサッと映つし、テレビの前で視聴者が、

「あぁ、今義足の人がいたな」

それでいいのではないか

「義足はハンデキャップなのか?」

「バネ付いてて普通の足より早く走れるんじゃねーの?笑」

なんて会話があったっていい


報道の要らぬおせっかい

それがまかり通っている社会に僕は失望する

それによって綺麗に泣く人に僕は失望する

おれが見たいのは空なのだ

真っ白な空を見せておくれ

今日の夕焼けは明日への希望か

過去の淡い思い出か

浮かべるのは俺の自由だ


結局世界中が注目する中、義足ランナーは負けてしまったけれど

僕は胸が引き裂かれる思いだった


大変だっただろう

俺みたいなグジグジうるさいやつがいる事も知っていて

自国の選手にも他国の選手にも気を使い、報道にも首を傾げた日があったに違いない

気持ちとは裏腹に、またはラッキーか、、金も降ってきただろう


よく走った

お疲れさん

全部抱えて思いっきり前に走ったその足に僕は拍手するよ


走るから、傷つくんだ

走るから、わらうんだ

ありがとう




2011.8.31




「なぜ書くか」



きっと流されないために書くと思う

忘れないように書くのだと思う

それはスイスあたりの崖っぷちの岩に指をかけて

爪が剥がれそうになりながら

血を感じながら

それでも忘れないように

書いては消し、書いては消し

俺は威張っているのか

能書きを足れて人気者になりたいのか

それがいやで書いては消しかいては消し

でもずっと心にあるもので。

小さな頃、子育てのためにオヤジが山の中に二階建てのおんぼろ家を借りた

裏は河原でいつも誰かが家に遊びにきていた

おかんが帰ったら家に知らない人がいて「いらっしゃい」と言われたそうな

良く皆で火を囲んで焚き火をした

俺はおかんが弾くフォークソングが大好きでよく歌ってとせがんでいた

夜、横で寝ていたおかんが居ないので真っ暗なギシギシ叫ぶ階段を上った

ただっぴろいあまり使われていない月明かりが差し込む二階で一人ロウソクを何本も焚いていた

わからないけど、嬉しかった

あれは小中の頃、団地に越して宗教にはまった親に気を使いながら、良く笑うようになった

たまに親父の弾くギターが好きだった

学校ではヒップホップやスカ、コアがはやり、頑張ってCD借りてみたけど

やっぱりいつも聞くのは

家にある古くさい寺尾聡なんかのフォークだった

ひょんな負けん気から始まったサッカーに挫折し

上京していろんなバイトをした

そんな中池袋で出逢った大道芸に夢を見た

人に何かしてあげたい

そう思ってこの仕事に就いた

夢とわかった時

悩む事が多くなった

世の中は変わらない

今日も誰かが夢で飯を食って

今日も誰かが夢で自分を癒して。

僕はいつだって弱いままで

また変える事も真実かわからないまま

大人になり

それでも今

なぜ書くのか

なぜ歌うのか

見せるか見せないかの話で

ずっと心にあるもの

きっとそれが僕にとって

大切なんだと思う



2011.1.




「独房での話」


ゆきなと話していて、なんとなく書きたくなったので…

実は最近まで、風呂なし共同トイレ、四畳半に住んでいたんですよ

鍵なんてよく「おしゃれ~」なんて見るアンティーク屋さんのあれですよ

友達の家にいった時、その友達の奥さんの携帯電話アクセサリーが俺んちの鍵に似てた事がありまして

いつもアンティーク屋さんで気になっていたもんだから、

無理いって貸してもらって名探偵コナンに良く出てくる古墳型の俺んちの鍵穴にさした事があります

さすがに開きませんでした

半年住んだんですが夏の昼間なんてとなりのマンションのクーラー熱で部屋の中が40度超える訳です

もちろん僕の牢屋にはクーラーなんてつけられません

古いから多分壁ごとはがれ落ちる

汗かいて上半身裸で壁にもたれたら、壁がはがれて背中にくっついた事があり、壁には粘着性のある体でもたれないようにしていたくらいです

そんで話もどるんですが、

暑すぎて死ぬなと思ってどこに逃げようか考えたところ、図書館を思いつき

いった所、隣に住んでいるおっさんが本読むふりして寝ていたのを思い出します

6つ部屋があるうちの二つはお店の物置になっていて

4つは人が住んでいる

僕の向かいはイラン人のおっさん(イランっぽい)

咳一つ、完全にみんな聞こえる訳です

筒抜けです

夜中にいちゃいちゃ女の子と電話しているのを聞きながら寝ていたら突然キレて「だから頭悪い女の子はきらいだよ!」と半年聞いた中で一番でかい声を出し、住民全員を敵に回した2010年度下半期、やってしまった記録保持者です

寝る頭の方はすごい貧乏そうなおじいさん

心まで貧相になった顔だったな

もう住んでいる人みんな人間不信でね

人とあうのがいやなんですよね

この生活が、自分が、いやなんでしょうね

共同トイレというのに誰一人として被りませんでした

みんなわかるんですよね

「あ、今あいつトイレいった」みたいな

僕がドアを開けるとバタンとそのおじいさんはドアを閉める訳です

一回帰りに出くわしてね

階段あがっていったら人の気配があると思って左をむいたら下を向いて存在を消している訳です

引っ越した当初、顔は見えなかったけど、そのおっさんが確実にのぞいているのはわかったな

最初は「ときわ荘」みたいで「この風情ある建物いいなー」なんて思ったけど

完全に違うと感じたね

「こわい」みたいな

そして夏の暑い日です

そのおじいさん、暑すぎてたまらなくなったらしくドアを開けて全裸で寝ていました

玄関開けたらトイレ帰りのおっさん、廊下をマッパで走って行ったのも目撃したな

でもわかる。トイレのためだけに服着るのめんどいもんね

あとの二つはサラリーマンと、一度もあった事はないけど夫婦が住んでいた

料理作る音とかテレビの音とかよく聞こえたな

しゃべる声はたまーに

なんか切なかったな

けっこう歳いってる感じだった

孫もいるだろうに、言ってないんだろうな

暑い日なんか本当に死んでないか毎日タンス開けて奥のベニアに耳貼付けて確認した

サラリーマンはもう50歳こえたくらいの人だった

感じのいい人だった

たまに朝、下駄箱で新聞とっている所で漫画喫茶から帰ってきた俺と出会わせて

挨拶したな

くっさそうなスーツ着てね

「いってらっしゃい」って玄関開けたら「ありがとう」って吉祥寺の人ごみに消えていった

吉祥寺駅から徒歩7分の物件なんだよ

それで25000円

もう毎日地震来たら俺は死ぬんだって死がまじでそばにあったね

風呂だって4日はいらなくて普通だった

大道芸してもしなくてもね

「あぁ、まだ漫画喫茶のシャンプーの臭いするなぁ、大丈夫」みたいな

だからワインとかジョース被りまくってたのはまじで生きてるって感じだったな

今日はずぶ濡れで寝るんだななんて思いながらね

実際引っ越した後に捨てたぺらっぺらな布団にはワインやジュースのしみだらけだった

ロックが何かわからないけれども、ロックだったね

さっきのサラリーマンのおっさんなんだけど、人ごみにまぎれると、あまりわからないんだよね

でも、わかるよね

俺は一緒に住んでるんだもの

「がんばれよおじさん」って思ったね

そういえば久々に友達と飯食いにいった時ね

そいつがいきなりテンションあがって「久しぶりだなぁ」って頭をさわるわけ

反射的に「やめれぇ」ってキレて

「ふけが落ちるだろう」と言った事があったな

そんな家に住んでるのに外出時は昔買った大切なバーバリーのコートだからね

玄関の鏡の前で笑った

そこからフランスいって韓国行って…秋の三茶、厚木、いろんなフェス行って…

去年のヘブンアーティストin東京で腰いためたとき

ゆきなが家まで送ってくれた

演劇少女ゆきなが「段ボールのような扉」と表現していたドアを開けて部屋を見て言った最初の一言が

「くっさ!!!」でした

その後部屋で死んでたら消臭剤とファブリーズ買ってきて

畳に転がってうなっている病人の俺に、全力でファブリーズふりかけてた

特に頭に。

笑って腰いたくなって大変だった

その後熟睡できてね

どんだけこの部屋ヤバっかったんだよって思ったよね

それまでは夜寝たらかゆくなるから、朝、涼しくなってから寝てたんだよ(これが普通だった)

楽しみもあったね

夏はスーパーから保存用の氷もらってきてクーラーボックスに入れてさ(冷蔵庫がないから)148円のジントニックのカンカンきんきんに冷やして飲むのが最高だった

これは冷蔵庫じゃ絶対に味わえない

今思う

部屋の暑さといい明け方、溶けてしまう氷といい

実に王様気分だったね

最初はすぐ出るつもりだったけど、だんだん知りたくなってきてね

町を出ても気づくようになった

あ、この人っ風呂ないなとか

この人家ないなとか、

俺は家がある、水も出る。冬にブルーシート畳にしいて、震えながらシャンプーしながら俺は幸せなんだなとか思ったりしてた

聞くと結構みんなこういう暮らししてきてるんだね

「誰がくさそーな部屋行くかよ」って言ってたけーぼーもそうだし

ヨーロッパの町並みのような美しいアクロバットを目指して汗流してるしてるジーチョコマーブル、ジェンちゃんもそうだという笑

周りの大人に結構経験者がいて「がんばれ俺」みたいなのがなんか恥ずかしかったな

知りたかった

でも俺はずっとここにいる訳じゃないし、仕事もある

その仕事で返ってくる喜びもある

親もいる

仲間もいる

だから知れないなと思った

昔顔がひんまがった障害者たちに芸を見せた事がある

へんな顔したら笑うんだよね

その子は

俺が普通の顔を崩した事を知ってるんだ

そんでもっと変な顔をしてきたりする

自分自身の事を卑屈に思ってないんだね

普通なんだ

もしかしたら俺の方が障害者かもしれないと思ったね

老人ホームにボランティアの依頼で行った事がある

俺はそんな暮らししててさ

行ったら高級老人ホームでね

カラオケあってビリアード場あってプールあって図書館あって…

それこそ一ヶ月で施設代100万くらいする所なんだよ

人を馬鹿にするなと思うと同時に

俺も老人ホーム、老人を馬鹿にしてたなと反省した

孤児院に行った時も俺よりいきいきしてるのもいれば

あたりまえに暗いやつもいる

芸見るより絵書いたり、大好きなTV番組見るのの方が好きなやつもいる

それからだね

どこでも金をもらうようになったのは

話がそれたけど独房での話

去年は半分そこにいた訳で

今で思う楽しい時間だった

話は尽きないね

生きてるから

引っ越す前日になぜかいつもと頭を逆にして寝たんだよ

隣の夫婦が蛇口ひねってね

寒い夜だった

キュポンって家が浮いたんだよ

あれがラストジョークだったね

ありがとう

飯田荘

住んでる皆に幸あれ


2010.



あるところにトランペット吹きがおりました

悲しい時に吹き

うれしい時に吹きました

散歩道、悲しんでいる人がおりました

とおくのほうからかすかに聞こえるくらいにトランペット吹きはふくのでした

散歩道、「なんだいその金ピカの楽器は」

すこし恥ずかしそうに吹いてみせました

散歩道、パーティーが行われておりました

「一曲吹いてくれないかい?」

トランペット吹きは喜んで一曲を贈りました

散歩道、子供がうずくまっておりました

トランペット吹きはただそばに座ってやりました

散歩道、葬儀がおこなわれておりました

「なにか一曲、吹いてやっとくれないかい?」

トランペット吹きは迷いましたが、静かな、昔、友人に贈ったメロディーを演奏しました

ある人は才能があるっていいねといい

またある人は孤独でしょうと同情するのでした

ある人はトランペット吹きが泣くように遠くで吹くとき

ひとりじゃないよ  そう肩をたたきました

ある人は風来坊とばかにし

ある人は子供だと言いました

でも、トランペット吹きが幸せの音色を奏でるとき

皆、その音色にあこがれるのでした

トランペット吹きは慰めませんでした

トランペット吹きは励ましませんでした

やがて愛する人ができ、こどもがうまれました

トランペット吹きはしあわせでした

そこから先は、まだ、僕にはわかりません







屋根の上のトランペット吹き

-終わり-

2012



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